箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
東海大“黄金世代”が同級生で「駅伝を走れず、4年間が終わると思っていた」郡司陽大が振り返る「そんな僕が3年生で箱根駅伝の優勝アンカーになるまで」
posted2024/01/21 06:00
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
Yuki Suenaga
ここに1枚の写真がある。
2019年、第95回箱根駅伝のゴール。両手でガッツポーズをして、東海大初優勝の喜びを全身で表したものだ。この写真の主役は、東海大の「黄金世代」と言われたひとり、郡司陽大だ。3年生でアンカーの大役を担い、トップで襷を大手町に持ち帰って来た。
「あれ、覚えていますよ。でも、最近までは優勝なんてしなきゃよかったと思っていました」
大学時代よりも少しふっくらした郡司は、伏し目がちにそう言った。
4年間、頑張ったなで終わるんだろうな
郡司は2016年に東海大に入学した。
「僕らの代は、すごかった。鬼塚(翔太)、関(颯人)、館澤(亨次)、羽生(拓矢)は、高校時代から目立っていて、名前を聞くだけでビビっちゃう感じでした。同級生で憧れなんておかしいと思うけど普通に憧れていましたね。実際、ただただ速いし、強い。一緒に走っていると、僕が届かない距離のまま彼らは伸びていくんだろうな。僕は『駅伝を走れないまま4年間、頑張ったなで終わるんだろうな』って思っていました」
東海大には、郡司の代のエリートが引き寄せられたかのように多く集まり、のちに「黄金世代」と称された。郡司も高校ではエースだったが、1年目は関たちとのレベルの違いを感じ、彼らの勢いに圧倒された。2年目も強い上級生と同期のなかに埋もれ、自分らしさを発揮できなかった。3日間で150kmを走るなどして臨んだ3月の学生ハーフは、65分20秒、56位に終わり、シーズンを終えた。1年の西田壮志が63分36秒で3位に入ったのとは対照的に精彩を欠き、レース後、郡司は両角速監督に呼び出された。
「おまえ、ここから変わらないとダメだぞ。今年が勝負だからな」
一皮むけたな。これからしっかりやっていくぞ
そう言われたが、郡司は最初ピンとこなかった。