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東海大“黄金世代”が同級生で「駅伝を走れず、4年間が終わると思っていた」郡司陽大が振り返る「そんな僕が3年生で箱根駅伝の優勝アンカーになるまで」 

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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photograph byYuki Suenaga

posted2024/01/21 06:00

東海大“黄金世代”が同級生で「駅伝を走れず、4年間が終わると思っていた」郡司陽大が振り返る「そんな僕が3年生で箱根駅伝の優勝アンカーになるまで」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

2019年、箱根駅伝で東海大として悲願の初優勝のゴールテープを切った郡司。本人が大学時代とその後を振り返る

「チームには強い選手がたくさんいるし……でも、勝負と言われているんだから勝負なんだろうなって思い、日々の練習や先生の言うことをやっていこうと」

 チームの練習メニューをこなし、個別での練習もやり遂げた。その成果が見えたのは、3年時5月の仙台国際ハーフだった。2kmで先頭集団から離れたが徐々に追いつき、15kmで実業団の外国人選手が飛び出すと郡司もついていった。63分23秒で総合4位。レース後、両角監督からは「一皮むけたな。これからしっかりやっていくぞ」と言われた。

「先生に、そう言われた時は親に褒められた時よりも嬉しかったです。ただ、自分のなかでは競技力がついたとかはよく分からなくて。この時もこれで駅伝に行けるとは思えなくて、とりあえず目先のことをひとつひとつクリアしていこうという感じでした」

なんで、お前が泣いてんの

 夏合宿は、主力メンバーが故障しており、郡司が引っ張っていく役割を任された。チームを先頭でリードしていくと両角監督から「よくやっている」と言われた。出雲駅伝組中心の3次選抜合宿では、初めて駅伝が視界に入った手応えを感じた。

「この頃は、出雲の6人のなかに入れるかなって思っていたのでめちゃ練習、頑張っていました。兄貴(貴大・駒澤大卒)は箱根には出たんですけど、出雲と全日本は走っていないので両親を出雲に連れて行ってあげたかった。それに出雲に出ることは、僕にとってすごく価値が高かったんです。東海は大学でナンバー1のスピードチームで、そのなかで出雲の6人の枠に入れるのはすごいことだと思っていたので」

 郡司は、出雲駅伝5区3位で駅伝デビューを果たし、チームは3位になった。前年は関がアンカーを走って優勝し、ゴール付近で泣いていた。先輩の川端千都に「なんで、お前が泣いてんの」と言われたが、一緒に練習して、同じご飯を食べてきた仲間が勝ったことがうれしかったのだ。だが、自分が走った出雲で勝てず、全日本では6区2位と快走も後続が青学大に抜かれ、2位になった。

【次ページ】 先生の顔がマジで般若だった

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