箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
東海大“黄金世代”が同級生で「駅伝を走れず、4年間が終わると思っていた」郡司陽大が振り返る「そんな僕が3年生で箱根駅伝の優勝アンカーになるまで」
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byYuki Suenaga
posted2024/01/21 06:00
2019年、箱根駅伝で東海大として悲願の初優勝のゴールテープを切った郡司。本人が大学時代とその後を振り返る
「みんな、ゴール前で待っている間、普通に喋ったりしているんですけど、僕はそういう気持ちにならなかったです。もう悔しくて、悔しくて……」
先生の顔がマジで般若だった
箱根駅伝では、優勝したいという気持ちがメラメラと燃えたぎった。
12月上旬、郡司は膝痛でチームから離脱した。箱根に向けて夜、暗い場所を走っている時、側溝に落ちて膝を痛打した。しばらく我慢していたが、痛みがひどくなった。
「先生に言いにいったら、もう烈火のごとく怒られて(苦笑)。その後、合宿に行く予定だったんですけど、僕は治療院の先生と相談して行くのをやめたんです。それを伝えた時の両角先生の顔がマジで般若で、頭から角が出ていました。『あーもうこれで箱根のメンバー入りもダメだな』と思いました」
みんなのイジりが優しいな
だが、郡司が出雲と全日本で見せた安定感のある走りは、東海大にとって欠かせないものになっていた。両角監督は郡司に期待しているがゆえに不注意で起こした怪我を怒ったが、内心では主力のひとりとして考えていた。
「16名のメンバーが発表されて、そのメンバーとスタッフで食事に行くんですけど、その場で先生に『おまえは16番目だからな』と言われたんです。その時、みんなが明るく、『おまえ、16番目かよ~』とイジってくれて。僕は正直、少しへこんでいたんですけど、それで救われました。みんなのイジりが優しいなと思いましたね」
10区と知った瞬間、脳がピリピリしました
この頃、区間配置は、まだ一部の区間しか決まっていなかった。