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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「箱根駅伝は悔しいことばかりでした」櫛部静二監督の城西大が大躍進の3位…指揮官がチームに「もっと楽しく」を強調した“納得のワケ”
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byL)Yuki Suenaga、R)Nanae Suzuki
posted2024/01/10 06:03
大躍進で大学史上最高順位の3位に入った城西大の櫛部静二監督(左)。6区を走った久保出雄太(3年)は同好会出身の異色の経歴
早稲田大では華やかな日々だけではなかった。同期の花田勝彦(現早稲田大駅伝監督)、武井隆次とともに「三羽烏」と称され、3年生だった93年の箱根駅伝は1区区間賞で渡辺康幸(現住友電工監督)に襷を繫ぎ、総合優勝に貢献した。だが、その胸中には絶えず、1年生の時のトラウマが渦巻いていたという。
91年は2区に抜擢され、武井が1区のトップでやって来た。襷を受けて走り出した櫛部に異変が生じたのはレース終盤だ。次第にペースダウンし、残り300mで朦朧としながら歩くのもおぼつかず、襷を渡すのがやっとだった。
直前の大晦日に食あたりになって、半日入院。軽い食中毒による体調不良が原因だった。あわや途中棄権の区間最下位でチームも総合11位。大ブレーキは、長く尾を引く心の傷になった。
箱根路での経験を糧に掴んだ23年目の「総合3位」
実業団に進み、引退後、城西大で指導者に転身してからも、さまざまな経験を重ねた。初めてシード権を獲得した10年は、前年に途中棄権した石田亮が快走してチームに貢献。自責の念で苦しみながらも乗り越えていく姿に心を揺さぶられ、涙を拭った。
ひたむきな学生から教わったことだった。その後も途中棄権1度、本大会不出場3度の屈辱を味わいながら、ここまで来た。
「私は従来のトレーニングを変えていきたいと常々思っていて、他の大学がやらないことにも取り組みました。これからの時代は科学が進歩して、低酸素の環境でトレーニングすることは大学駅伝だけじゃなく、世界を考えた時、マストだと思っています」
現役時代の経験をもとに10年近く前から、低酸素トレーニングの練習環境を整えてきた。
いま、低酸素ルームには14台のトレッドミルを置く。ハードなポイント練習直後、低酸素ルームで走ってさらに追い込むなど、その練習メニューは独特である。空気が薄い低酸素環境では血液の酸素運搬能力が上がり、毛細血管の量も増えるとされる。根拠に裏打ちされた低酸素トレーニングは選手の成長を後押しした。
52歳になった櫛部はX(旧ツイッター)やnoteなどSNSでも発信する、進歩的な指導者である。苦節の歳月を経て、新たなステージに入った。「23年前から考えると『このチームが3番なんて』って、思われていると思います」と静かに笑った。