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「シード落ち」危機もまさかの4位、東洋大は箱根駅伝でなぜ蘇った? 選手から不満も、1カ月で再建「酒井監督と松山主将の信頼物語」
posted2024/01/06 06:00
text by
涌井健策(Number編集部)Kensaku Wakui
photograph by
Nanae Suzuki
「いやー、3位はいきたかったですね。ラスト20秒差ですから」
東洋大学の酒井俊幸監督は第一声、4位で終えたレースをこう振り返った。
名将が、悩んでいるように見えた
「総合3位は学生たちが掲げた目標でしたし、そこまで行っていれば強い強い駒澤さんでも来年は背中が見えて、学生の意識が違ってくると思っていたので。もちろん今回は及第点。優勝争いをするところまで戻して行きたいので、その通過点としてはよかったかな、と」
ただ、第100回の箱根駅伝、東洋大の前評判は決して高くなかった。前哨戦と言われる出雲駅伝で8位、全日本大学駅伝は14位。しかも両駅伝とも区間上位で走った選手が少なく、駅伝主将・松山和希(4年)も万全ではなく、期待の石田洸介(3年)も実戦から遠ざかっている状態。鉄紺軍団が18年連続で獲得しているシード権を失うのでは、という声も聞かれた。
11月下旬にインタビューした際には、酒井監督自身からも「今、うちはターニングポイント。指導者として15年目で、東洋としては色々と変えて行かなければならないのかなとも思っています」という言葉が聞かれた。箱根駅伝を3度制している名将が、率直に言えば、悩んでいるように見えた。
その状態から、真のチーム力が問われる箱根駅伝で、3位を射程圏内にとらえる4位にしっかり食い込んだ。この短期間で、どのようにチームを立て直したのか。
取材から浮上してきたキーワードは「信頼」だ。
監督と選手の間に見えた「距離」
酒井監督によると、チームの空気が変わったのが11月下旬だという。
「箱根駅伝は結束を積み重ねる戦いでもあると思います。自分のためだけではなく、支えてくれている人たちへの感謝の気持ちを持って走る。そういったメンタル的な部分を立て直しました」
指導者と選手の関係性も変化していたようだ。