- #1
- #2
箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
箱根駅伝“1年生で2区12人抜き”あの天才留学生…オムワンバは今、長崎にいた「後悔がゼロ、は嘘になるけど…」「まだ“見習い”です」
posted2024/01/05 11:01
text by
田中仰Aogu Tanaka
photograph by
Number Web
エノック・オムワンバは箱根駅伝2区を途中棄権した。2014年1月2日、2区をまさに走っている最中での疲労骨折だった。
3年時は「箱根の2日前に離脱」
練習復帰までに3ヵ月を要した。5月の関東インカレで1500mと5000mの2冠、10月の箱根駅伝予選会も個人2位。だが、完全復活は遠いと感じていた。「あの日以来、コンディションが100%の日はなかった」。冬になると痛みが増す。右脚をかばう走り方がクセになり、体のバランスを崩した。3年時、箱根駅伝にエントリーされるも、右アキレス腱痛の影響から12月31日に離脱した。
2015年4月、それまで3年間オムワンバだけだった留学生が、1人加わった。ドミニク・ニャイロである。母国語のスワヒリ語で故郷の話ができた。
「僕が日本に来た当初、とにかくウガリが食べたかった。ニャイロもすごく恋しがってた。小麦粉を買いに行って、一緒に作ったね。ニャイロの気持ちがわかるから。『最初の1年はキツイけど頑張ろう』って伝えた」
だが、身体の状態は戻らなかった。3年時のアキレス腱痛につづき、4年時は右膝痛を抱えた。最後の箱根駅伝に照準を合わせて、全日本駅伝、出雲駅伝の出場は見送られ、代わりに走ったニャイロが区間賞を獲得した。
オムワンバか、ニャイロか…箱根前夜の記憶
山梨学院大の上田誠仁監督は苦悩していたはずだ。箱根の2区に起用するランナーを誰にするか。つまり、オムワンバか、ニャイロか。
〈自分が不振であえいでいる時もエノックはニャイロのことを優先した。そういう人間性をみんなが見て認めている〉(上田監督)
〈箱根の借りは箱根でしか返せない。当然、今回が最後というのは考慮します〉(上田監督)
〈最後だから先輩に走ってほしい〉(ニャイロ)※いずれも東京新聞/2015年12月28日付
オムワンバの心中はこうだった。
「4年の時は行けるかなって。走りたかった。レースプランも考えていた。抑えて入って、体が温まった10km以降で勝負する。70%くらいのコンディションと感じていた」
2016年1月1日の夜。オムワンバの部屋を訪ねた上田監督が告げた。