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父は法政大のエースでも…《箱根駅伝“花の2区”区間賞》黒田朝日はなぜ青学大に?「距離は踏まない、時計はつけない」個性派エースの育て方
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byYuki Suenaga
posted2024/01/04 17:04
9位で襷を受けた黒田(写真左)は、7人抜きの快走で駒澤大追撃への勢いをつけた。急成長の裏にはどんな指導があったのだろうか?
父と同じ法大に進まなかった理由は…?
ただ、大学は父と同じ法政大には進まなかった。
「最初に声をかけていただいたのが青学だったんです。大学の中で最強のチームから声をかけてもらえて、即決で決めました」
父とは一緒に走ったこともなければ、陸上のアドバイスをもらったこともない。子供の頃から自主性を育む環境があり、いつも自分で考え、道を切り開いてきた。だが、YouTubeでは何度も父が箱根路を走る姿を見ており、最近あることに気づいた。
「『え? 俺、走ってる?!』って。20年前の俺が走っていたんじゃないかと思うくらい、走り方がソックリなんです」
小柄だが、やや前傾で、体を大きく使い、ストライドも広い。走っている時の軸がブレないのが強みである。子は親を見て育つ。自らの感覚を頼りに、個が際立つランナーの素地は父にあった。
「そういえば、父も時計をつけてなかったんじゃないですかね」
黒田はレースで時計をつけない。走っている時は、自分の内なる声を聞くからだ。
「タイムを気にしてもプラスに働くことはそんなにない。気にして集中をそがれるよりも、時計がない方がいい。自分の感覚ですね」
だから、戸塚中継所で襷を繫いだ後、タイムを聞いて驚いた。
「近藤幸太郎先輩の青学記録(23年、1時間6分24秒)は一つの指針でしたが、何分を狙おうとか、考えていませんでした。ぼんやりと66分台が出ればいいかな、くらいで。前半は第2集団での走りになりましたが、どの状況でも、自分の走りを貫けました。理想的だったし、会心の出来だったと思います」
記者会見での声はひときわ大きく、立ち話でも快活だった。明朗な口調の中に、時折、揺らぐことのない個が顔をのぞかせる。原監督や父・将由さんは、そんな黒田の感性が磨かれていくのを見守ってきた。
チームの進むべき道を明るく照らした曇天の箱根路。黒田朝日は円熟の域に入った青山学院大の強さの象徴だった。