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父は法政大のエースでも…《箱根駅伝“花の2区”区間賞》黒田朝日はなぜ青学大に?「距離は踏まない、時計はつけない」個性派エースの育て方
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byYuki Suenaga
posted2024/01/04 17:04
9位で襷を受けた黒田(写真左)は、7人抜きの快走で駒澤大追撃への勢いをつけた。急成長の裏にはどんな指導があったのだろうか?
「僕は長くて5、6kmくらい走ったら、さっと帰るんです。今日はこれくらいにしようと。ほとんど感覚でやっていて、何か根拠があるわけではありません。それに、走りすぎはよくないし、無理して走るモノでもないと思います」
距離を踏むことで、走るための土台になる。ジョグでも10km超えは当たり前だし、ある強豪校では連日のように20km超を走る猛者もいた。黒田は、そういった「走り込む」慣例にとらわれず、自分の内なる声を聞く。夏合宿期間を除く、通常の月間走行距離は「400kmくらい」だというから驚きである。
「僕、めっちゃ少ないですね。(周りから)そういうヤツ、みたいになってますね」
黒田によれば、青学大でも他の選手は月間の走行距離は少なくとも500kmを超え、平均すれば700~800kmくらいだったという。それでも原監督は“走らないエース”に対して、走行距離の少なさを指摘することはない。そこには黒田を信頼し、その個性を重んじる指導者としての姿勢が表れている。自主性を大切にするチームカラーには、モノを言わない指揮官のマネジメントも反映されている。
父・将由さんは往年の名ランナー
黒田は「朝日」という名前を持つ。
「朝日のように明るく、周りを照らせるような人になってほしい」
名づけた父・将由さんは、熱心なファンなら誰もが知る名ランナーだ。
法政大で3度、箱根駅伝に出場。1年の時は1区で残り300mまでトップを走った。徳本一善(現駿河台大監督)とともに金髪をなびかせ、サングラスをつけた当時の「オレンジ・エクスプレス」を代表する個性派ランナーだった。
黒田は父から陸上長距離の道を勧められたわけではない。むしろ、父は「好きなことをやればいい」と言うタイプで、黒田自身も小中学校ではサッカーやバスケットボールに取り組んでいた。ただ、「高校からは走る」のだと自分の中では決めていた。
父と同じ岡山・玉野光南高で陸上を始めると、こちらも父が活躍した3000m障害でインターハイ準優勝を果たすなど頭角を現した。