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大相撲PRESSBACK NUMBER
「大相撲の世界で“勉強したい”はタブーだった」中卒の幕下力士が経験した暗黙のオキテ…8度改名、大神風が引退し警備員になるまで
text by
齋藤裕Yu Saito
photograph byTadashi Hosoda
posted2023/12/17 17:05
「大神風」などの四股名で相撲道を突き進んだ前田一輝さん。力士としての日々と引退した後の生活を振り返った
「なぜか生まれつき相撲が好きでした。そして、生まれた時からお相撲さんになろうとずっと思っていたんです。小さい頃も欲しいものはおもちゃじゃなく、相撲雑誌。『月刊相撲』と読売の『大相撲』(2010年休刊)と『NHK大相撲中継』、すべて集めていましたね」
当然、NHKの中継も観戦。幕内力士の取組に心を躍らせた。
「幼稚園の時に貴花田とか曙とか漢字で書くようになって、親は天才児だと思ったみたいです(笑)。小学校を卒業する時にまず相撲部に入ろうと決めて。地元で相撲部のある中学を探して受験して入学しました」
父親の反対を押し切って角界入り
入ったのは私立の報徳学園。ただ、相撲を習ってきたエリートにかなわず、入部しても雑用をこなす日々。力士になる夢をあきらめるかと思いきや、高校生となった相撲マニアはこんな計画を立てた。
「うちの家族が、中学から私立に行く学費を払っていて、『普通の家庭より経済的に負担している』とふと考えたんです。自分が相撲したいがために、両親に負担をかけるのは良くないなと。そこで高田川部屋に行っている学校の先輩に『大相撲に行きたいです』と相談しました。そしたら師匠から電話がかかってきて『明日来い』と。学校をやめる手続きをしないといけなかったので、その場で『明後日でもいいですか?』と返事をしました」
これで受け入れ先の親方との話はついたが、両親とは一切話をしていなかった。ただ、角界入りするのは時間の問題だった。
「父親はめちゃくちゃ怒って反対しました。今振り返れば、相撲部でレギュラーでもないのに、世間知らずでアホだったんですよ。でもやってみなきゃわからない、自分はもっと強くなれるはずだ、大相撲の世界で勝負したいと思っていました」
高校のスポーツクラスでは学年で上位に入る学力を有していた1年生。学生服を着た15歳にはさまざまな可能性があったが、幕内力士になる夢しか見えていなかった。反対を押し切り、高校を退学して高田川部屋に入門する。
日々生きるのがきつかった
「東京で先代の高田川親方(元大関・前の山)に初めて会った時は『おー、あんちゃんきたか』みたいな感じで握手して。『細いけど大丈夫だからな?』って言われて、その姿がもうむちゃくちゃかっこよかった。すごいオーラだ、と思いました」