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「大相撲の世界で“勉強したい”はタブーだった」中卒の幕下力士が経験した暗黙のオキテ…8度改名、大神風が引退し警備員になるまで 

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齋藤裕

齋藤裕Yu Saito

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photograph byTadashi Hosoda

posted2023/12/17 17:05

「大相撲の世界で“勉強したい”はタブーだった」中卒の幕下力士が経験した暗黙のオキテ…8度改名、大神風が引退し警備員になるまで<Number Web> photograph by Tadashi Hosoda

「大神風」などの四股名で相撲道を突き進んだ前田一輝さん。力士としての日々と引退した後の生活を振り返った

 貴乃花に憧れた少年が戦いの舞台に足を踏み入れる……前に待ち構えていたのは、地獄のような稽古だった。通常3時間ほどとされる稽古時間だが、高田川部屋は倍以上の稽古量を誇っていた。

「強くなる、ならない、なりたい、なれないじゃなくて、とにかく半端なくきつかったです。朝の4時から稽古が始まって、昼12時まで。日々生きるのがきつかった。寝てもまだ朝ではない昼寝の時が一番の幸せで、翌朝が訪れてしまうので、夜に布団に入るのが一番の恐怖でした。Netflixの『サンクチュアリ』には稽古のシーンがありますが、あれは『生ぬるい』。そんなふうに当時を知る人たちと話題にあがるくらいです。耐えられずに辞めてしまう力士もいましたが、相撲が好きだったので僕は辞めたいとは思わなかったです」

8度の改名は「結構楽しんでいました」

 土俵にあがると一進一退を繰り返しながら番付をじりじりと上げていく。名力士の映像を目に焼き付け、研究を重ねる日々。もともとの相撲マニアぶりが知られると、映像のディスクや雑誌が寄贈されるように。いつしか居住空間が相撲図書館と化し、「相撲博士」というあだ名もついた。

 四股名は本名の「前田一輝」から8度も変わった。本人が微笑みながら振り返る。

「最初は先代親方の一声で変わりました。もともと『前の山』の『前』の字から付けていましたが『誰が付けてくれと言った。俺は別につけてほしくない』と言われて部屋の大半が変えることに(笑)。それで「前の山太郎」から『太郎を残せ』ってことで太郎をつけて。なぜか僕だけ一太郎でしたが(笑)。負け越す度に改名したこともありました。
 現在の第41代式守伊之助さん(来年初場所から第38代木村庄之助を襲名予定)に改名届期限の当日朝に決めてもらったりもしました。周りからは名前変えても強くなんねえって言われていましたが、僕も新しいもの好きで、結構楽しんでいましたね」

「勉強する暇あるなら稽古しろ」という雰囲気

 親方は厳しく、怒らせると怖い人だった。一緒に晩ごはんを食べ、冷蔵庫の中の食材ストックも全て把握していた。前田さんは「あの頃が一番なつかしい」と振り返り、時おりその人を「師匠」や「親父」と呼ぶ。

【次ページ】 どのみちいつかは辞めなきゃいけない

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