巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER
「マスコミは色々書くけどさ…」“猛批判された”巨人・落合博満40歳、じつは“気配り”がスゴかった…5連敗のピンチを救った「落合の緊急ミーティング」
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2023/12/10 11:02
1994年、巨人1年目の落合博満(40歳)。当時の証言を振り返ると落合の意外な一面が見えてくる
「言葉は悪いけど、野球というのは騙し合い。僕はそんなに足が速くないから盗塁は難しい。ちょっとしたスキをねらうしかないんです。(中略)飛距離で勝負したって勝てっこない。でも、150メートル飛んだからホームラン二本になるわけでもないし、100メートルのフェンスぎりぎりでも越えてくれりゃいい。松井や落合さんならともかく、僕にはホームランをねらって打つ力はない。チャンスで野手の間を抜くヒットを打てれば、ホームランと同じくらいの価値がある」(週刊読売1994年7月31日号)
そして、ベンチにいるときは雰囲気を暗くしないように積極的に声を出しながらも、一塁を守る落合が、マウンドの苦しんでいる投手に声を掛ける絶妙のタイミングを見て盗んだ。引退後にクイズ番組で“おバカキャラ”のタレントとして人気になるが、そのイメージとは真逆で、元木には移動中のバスや新幹線でベテランのイジられ役を演じながらも、落合すら利用して成り上がる、プロの世界で生き残るためのある種のしたたかさがあった。
「なぜ強くなった?」「それは落合ですよ」
そんな若武者の台頭もあり、6月も16勝6敗と大きく勝ち越した巨人は、6月末に貯金20に達する快進撃で、同率2位のヤクルトと中日に9.5ゲームの大差をつけての独走状態に入っていた。アナウンサーの深澤弘が、長嶋監督に「なぜ、こんなに強くなったんですかね」と聞くと、「それは落合ですよ。落合が一人入っただけで、何人もの選手が増えたような錯覚を起こす」と即答したという。
「考えて下さいよ。いま、こうしてウチが首位にいられるのも落合を獲ったというシーズンオフの戦略、つまりチーム作りが成功したからなんだ。試合での戦術なんか、どこの監督も似たりよったり、ハナクソみたいなもんだ。問題はチーム作りという戦略が勝負なんだ」(わが友 長嶋茂雄/深澤弘/徳間書店)
饒舌なミスターの背番号60に対する信頼感は絶大なものだった。4月の月間MVPに輝いた松井は6月にスランプに陥ると、プロ初の送りバントを命じられたり、チャンスで「代打・原」を送られるなど、7月5日の阪神戦での10号アーチが、21試合91打席ぶりの一発とまだ若さ故のムラがあり安定感に欠けていた。
5連敗…落合が開いた緊急ミーティング
しかし、首位固めをしながらも、「アヒルのようにヨタヨタしてるでしょ。ギリギリのところで踏みとどまっているんですからね。楽勝ムードなんて微塵もありません」と長嶋監督はベテランの多いチームの夏場での息切れを危惧していたが、そのミスターの動物的カンは的中してしまう。