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箱根駅伝で四半世紀以上優勝なし…留学生ランナーは優勝への近道なのか? マヤカ、ダニエル、モグスから見る留学生の箱根駅伝ヒストリー
posted2024/01/02 11:04
text by
工藤隆一Ryuichi Kudo
photograph by
AFLO
マヤカvs渡辺のデッドヒート
山梨学院大でオツオリの後を継いだのはステファン・マニャング・マヤカ(現・真也加ステファン)だった。
1994(平成6)年、第70回大会での2年ぶり2度目の総合優勝は、往路、復路ともにトップの完全V、タイムは箱根駅伝で初めて11時間を切る10時間59分13秒だった。
マヤカは2区で区間新記録を樹立。同時代のスター選手だった早稲田大の渡辺康幸のライバルとして、第69回大会(早稲田大優勝)、第71回大会(山梨学院大優勝)では、ともに2区を走り、熾烈なデッドヒートをくり広げた(第70回大会の渡辺は1区)。
モグスの存在があったから頑張れた
さらに時代を進めると、2008(平成20)年の第84回大会の2区で、日本大のケニアからの留学生ギタウ・ダニエルが区間2位となる1時間7分27秒で走り、日本大の順位を19位から4位に押し上げる15人抜き(第79回大会の順天堂大の中川拓郎と並ぶ歴代タイ記録)を演じた。
2006(平成18)年の第82回大会から2009(平成21)年の第85回大会まで2区で活躍した山梨学院大のメクボ・ジョブ・モグス(ケニア)の存在も忘れられない。山梨学院大付属高校の時代から「モグちゃん」の愛称で親しまれ、第83回大会以外はすべて区間賞。うち第84、85回大会では区間新記録を樹立している。
当時、モグスの存在は世界を目指す日本の若手長距離ランナーにとって、国内に居ながらにして体験できる具体的な「目標」でもあった。同時期のライバルで、一緒に合宿をするほどの仲であった早稲田大の竹澤健介(現・摂南大ヘッドコーチ)は「彼の存在があったから頑張れた」としみじみ話している。
マヤカは現在、桜美林大の監督
山梨学院大を中心とした留学生ランナーの存在は、1920(大正9)年に始まった箱根駅伝にとっては「禁じ手」だったのかもしれない。しかし、彼らの存在が日本人ランナーの底上げに寄与したのはまぎれもない事実だった。けっして一時的な好成績だけを請けおう「助っ人」ではなかったのである。