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「大坂なおみ財団」の支援で、ハイチのテニス少年は日本に渡った…興国高校→上武大「最初の留学生」が明かす「ナオミはシャイだけど、すごくやさしい」 

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山口奈緒美

山口奈緒美Naomi Yamaguchi

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photograph byフリッターソン・セントルイス提供

posted2023/12/02 11:01

「大坂なおみ財団」の支援で、ハイチのテニス少年は日本に渡った…興国高校→上武大「最初の留学生」が明かす「ナオミはシャイだけど、すごくやさしい」<Number Web> photograph by フリッターソン・セントルイス提供

大坂なおみが協力する「大坂財団」の支援によって、初の留学生として来日したフリッターソン・セントルイス(左)。本人に話を聞いた

「ハイチの子供たちが人生を切り拓く方法は、一生懸命テニスのトレーニングをしながらアメリカのホームスクール(オンライン教育システム)で勉強し、アメリカの大学のスカラシップを得ること以外にない」

レオナルドの日本ルート

 この切羽詰まった環境、そこで培われる逞しい精神を、私たち日本人はどこまで理解できるだろう。「テニスと教育」。これはレオナルドが掲げている財団の目的とも重なる。ただ、フランキーが子供たちの生きる道をアメリカでしか見いだせないと考えたのに対して、レオナルドは独自のルートで日本という可能性も模索している。

 フリッツは「アメリカも楽しかったけど、今は日本のほうが好き。食べ物はめちゃくちゃおいしいし、安全。それに、みんなやさしいから。大学でテニスと勉強をがんばって、日本に長くいたい」と、日本の話をするといつも笑顔になる。

テニスのおかげで僕は今ここにいる

 一方で、テニスプレーヤーとして母国を代表することも大きな目標だ。補欠も含めたデビスカップのメンバーにはすでに選出されているが、昨年も今年も8月にトリニダード・トバゴで行われたラウンドロビンに日本から呼ばれることはなかった。ハイチのテニス連盟が負担すべき渡航費もネックなのだ。大学生とジュニア世代で構成されているというチームに切に必要とされる日を日本で腕を磨きながら心待ちにしている。

 20数年前にレオナルドたちが大阪で始めたボランティア活動は、テニスという夢と富のシンボルと出会い、より豊かに人と人とをつないできた。その縁に導かれるように、フリッツの日本での生活ももうすぐ3年になる。

「スポーツが得意で、どちらかというとチームスポーツのほうが好きだったけど、テニスをやってよかった。テニスのおかげで僕は今ここにいるから」

 しかし、レオナルドはまだこれを「成果」とは呼ばない。フリッツの自立、そしてIOAセンターにいる何百人もの子供たちの幸せな未来の姿を見るまで、そう呼ぶことはないのだろう。

<レオナルドが語る「大阪財団」編をあわせて読む>

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「大坂なおみ財団」がハイチの貧困家庭を支援していた! 両親に聞いた活動の実態「はじまりは、日本のホームレスからだった」

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