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テニスPRESSBACK NUMBER
「大坂なおみ財団」の支援で、ハイチのテニス少年は日本に渡った…興国高校→上武大「最初の留学生」が明かす「ナオミはシャイだけど、すごくやさしい」
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byフリッターソン・セントルイス提供
posted2023/12/02 11:01
大坂なおみが協力する「大坂財団」の支援によって、初の留学生として来日したフリッターソン・セントルイス(左)。本人に話を聞いた
「僕が日本の高校に行ける!? ウソでしょ、ホントに? って感じ。日本の漫画やアニメが好きだったし、最高にうれしかった」
国内ナンバーワンのテニス少年
7、8歳の頃、近所で行われたテニスクリニックに参加してみたところ、主催したコーチに才能を見出された。サッカーもバスケットボールも得意だったというから、テニスの経験はなくても光るものがあったのだろう。そのコーチというのがハイチのデビスカップ監督のフランキー・セントルイスで、決して裕福な家庭の子ではなかったフリッツの父親代わりとなって、自分のアカデミーで育ててきたという。10歳になると同年代の国内ナンバーワンになり、フランキーのサポートでフロリダにテニス留学もした。その間に、アメリカのジュニア・オレンジボウルやエディハーといった伝統あるジュニア大会にも出場し、ジュニアの国別対抗戦でもハイチの代表として戦った。
フランキーとレオナルドが友人だった縁で、13歳の頃、より施設の充実したIOAセンターへ、母親と、ひとまわり以上年の離れた妹といっしょにやって来た。母親はセンターで調理係として働いている。
こうした経緯を、たどたどしい日本語と比較的流暢な英語を混ぜながら説明した。
テニスどころじゃない人はたくさんいる
なおみとはセンターで対面し、フロリダに留学中も会いに来てくれたという。
「シャイだけど、すごくやさしい。『ちゃんと勉強してる?』 『漢字はどれくらい書けるの?』っていつも聞くんだ。ハイチでは国民の半分くらいは彼女のことを知っているかな。テニスが好きな人ならもちろん100パーセント知ってる。でもテニスとかスポーツどころじゃない人はたくさんいるから」