巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER

野村克也「(死球くらいで)ガタガタ言うな!」野村ヤクルトと長嶋巨人が“大乱闘”…ノムさんに狙われた巨人落合博満40歳「落合は何を考えとるんや」 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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posted2023/10/22 11:03

野村克也「(死球くらいで)ガタガタ言うな!」野村ヤクルトと長嶋巨人が“大乱闘”…ノムさんに狙われた巨人落合博満40歳「落合は何を考えとるんや」<Number Web> photograph by KYODO

1994年2月の宮崎キャンプ。ウインドブレーカーを着たまま、キャンプ初のティー打撃に取り組む落合博満40歳

 1993年5月27日の神宮球場で大久保博元が左手首に死球を受けて骨折。野村監督は「向こうも古田に何回も来てるやないか。大久保に当たったくらいでガタガタ言うな!」と吠え、6月8日の富山市民球場では、宮本和知がID野球の申し子・古田敦也の肩口へ死球を与え両軍睨み合いに。次打者が放った適時打で本塁突入した古田に、返球をキャッチした捕手の吉原孝介がダメ押しの肘打ちで応戦。これにネクストサークルにいたジャック・ハウエルが激怒して、両軍入り乱れる大乱闘に発展してしまう(ハウエルと吉原は退場処分)。

 まだ乱闘が多く、WBCの代表チームも存在しない時代、チームの垣根を越えた交流もタブー視されており、球界は今よりずっと殺伐としていた。そして、宿敵に落合が加わった1994年の西都キャンプでは、野村監督が内角攻めを徹底させるために発注したという、“落合人形”と呼ばれる人形をブルペンに立たせ、西村龍次や荒木大輔がブラッシュ・ボールの練習に励んだ。依然として両チームは一触即発の危険な状況だった。

「全身汗びっしょりだった」落合

 巨人で初めてのキャンプに臨んだ40歳の四番打者は、例年より早いペースで調整を進め、2月15日にはマシン打撃を開始。その練習量の少なさにOBからは懐疑的な声も上がったが、所サブマネージャーが所用でホテルの部屋を訪ねると、中から汗だくの落合が出てきたという。

「所は落合の姿を見て驚いた。全身汗びっしょりだったのだ。『何やってるんだ、オチ』『仕事だよ、仕事……ところで、何の用?」。所が用件を説明すると、落合は「何だ、そんなことか。わかったよ」と言ってドアを閉め、再び「仕事」に戻った。また素振りを振り始めたというのである」(激闘と挑戦/落合博満・鈴木洋史/小学館)

 練習嫌いとレッテルを貼られた男が、部屋でひとり納得をするまでバットを振っている。それが落合のやり方だった。ロッテ時代の恩師、稲尾和久は監督と四番打者という関係性だったが、試合後にこんな光景を目撃したという。

【次ページ】 「落合vs.マスコミ」批判的な報道が始まった

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