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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
放送大学関西“箱根駅伝予選会挑戦ウラ話”《参加選手最年長34歳》都大路も走った元強豪校ランナーの胸の内…「かつての後悔を取り戻すために」
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byYuki Suenaga
posted2023/10/20 17:16
平均年齢28.8歳の「おっさん大学生ランナー」たちが集った放送大学関西チーム。その中には、かつて名門校で活躍した選手も…?
鶴谷は篠原が退部した4年の冬に他界した。いま28歳の篠原にとって、生きていく指針を与えてくれた恩師でもあった。
胸にとどめる記憶がある。2年生の9月に兵庫県内で強化合宿が行われた。好調な選手は3泊延泊して走り込む。そのメンバーを多数決で決めることになっていた。篠原もギリギリ残った。だが、反対票が多数あったことが心に引っかかっていた。そんな胸中を見透かすように、鶴谷は篠原に言った。
「残ることに反対した票を入れた人を見返すんじゃなく、賛成票を入れてくれた人のために頑張りなさい」
いまも息づいていることばだという。だから、苦しいレースでも踏ん張れた。
「今日、タイムは自分のなかでは平凡でした。箱根駅伝予選会はあくまで目標ではなくて、自分の陸上人生の通過点ととらえて、これからもやっていきたい」
◆◆◆
「箱根を走れなかったから、今も競技を続けています」
初めて箱根の予選会を走った外村の目に映る景色は格別だった。
給水ポイントでなじみの顔を見つけた。日本大時代、補欠のBチームで指導してくれたコーチがいて、激励された。沿道では、かつて一緒に走った先輩からも声をかけられた。ベンチまで訪ねてきたのは当時、足しげく通った治療院の先生だった。
「僕は箱根を走れなかったから、今も競技を続けています。今日、初めて感じたのですが、雰囲気が凄すぎるんです。経験したら燃え尽きると思います。もしもあの時、箱根を走っていたらいまはもう市民ランナーもしていません。逆に良かったなと思います」
外村にはもうひとつの顔がある。日本大卒業直後の12年4月からランニングチーム「GRlab」を主宰し、10年が過ぎた。北海道から沖縄までメンバーが点在し、会員は約160人に増えた。すべて走ることで生まれた縁だった。
「走ることっていうのは人生、というと簡単に終わりますが、何でしょうね……。走ることって、生きていくことすべてに彩りを加えるというか。走っていて気持ちいいというより、走って日々、生きているのが楽しくなる感じですね」
この日、襷の継走はなかった。だが、仲間たちは確かに同じ思いを分かち合っていた。
そして何よりも彼ら自身が、過去から現在、そして未来の自分に襷を繫いでいるようにも映った。「箱根」が持つ本当の魅力は、そんなところにもあるのかもしれない。