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放送大学関西“箱根駅伝予選会挑戦ウラ話”《参加選手最年長34歳》都大路も走った元強豪校ランナーの胸の内…「かつての後悔を取り戻すために」 

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酒井俊作

酒井俊作Shunsaku Sakai

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photograph byYuki Suenaga

posted2023/10/20 17:16

放送大学関西“箱根駅伝予選会挑戦ウラ話”《参加選手最年長34歳》都大路も走った元強豪校ランナーの胸の内…「かつての後悔を取り戻すために」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

平均年齢28.8歳の「おっさん大学生ランナー」たちが集った放送大学関西チーム。その中には、かつて名門校で活躍した選手も…?

普段は「鉄道会社の車掌」…篠原亮太の挑戦

 篠原亮太はひときわ日焼けして精悍な顔つきをしていた。8月に長野県・東御市で社会人アスリート合宿に参加し、9月も白樺湖合宿を敢行。誰よりも練習を重ね、この予選会に臨んでいた。

 レースの入り5kmは16分25秒。10kmまではペースを維持するが、次第に苦しくなり、スピードが落ちていく。それでも、最後まで粘り、1時間11分45秒でフィニッシュ。チーム3位のタイムである。初めての予選会を走り終え、率直な思いが溢れた。

「これからの人生を生きていくなかで、箱根の予選会はすごく価値のあるモノだと思ったので、この夏も精いっぱい走り込んで、悔いのないレースをしようと決めて今日に臨みました。自分の中で一番濃い、21.0975kmでした」

 普段は鉄道会社の車掌として働きながら、学業と両立させている。その合間を縫って走り込んできた。だが、彼もまた学生時代に悔いを残したまま、社会人になっていた。

「1回目の大学では、4回生の時に陸上部を辞めたんです。その悔いがずっと残っていて、その1年をやり直すため、去年から入部しました」

 篠原は一度目の学生だった大阪経済大4年の夏、陸上競技部を退部。駅伝シーズンを走ることなく、志半ばで卒業していた。

 だから、箱根駅伝は目標ではなかった。昨年春に入学して入部後の6月に第100回の全国化が決まった。今年3月には日本学生ハーフマラソンに出場するなど、キャリアを重ねた先に、この予選会があった。

大学時代に感じた「箱根」との”不思議な縁”

 ただ「箱根」とは不思議な縁があった。大経大で走っていたころ、陸上競技部監督は兵庫で報徳学園高を全国高校駅伝3連覇に導いた鶴谷邦弘だった。高校陸上界の名将である。その鶴谷がミーティングでよく話していたのが箱根駅伝のことだった。

「学生の大会の中でも特別な、格別な大会なんだ。自分は日体大時代に走ることはできなかったけど、あの舞台で走ることを、向こう(関東)の学生はみんな目標にしているんだ」

 関西の大学生にとって最大の目標は日本インカレや丹後駅伝になる。だが、関西をはるかにしのぐハイレベルなレースを走る同じ学生がいる。志を高く持て――。鶴谷はそんなメッセージを込めたのだろう。

【次ページ】 「箱根を走れなかったから、今も競技を続けています」

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