箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
《箱根予選会6位通過》立教大“消えた天才”は甦るのか? 三浦龍司でも、吉居大和でもなく…「最強世代」トップランナーだった男・服部凱杏のいま
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph byYuki Suenaga
posted2023/10/16 17:03
中学時代から「最強世代」の呼び声も高かった現大4世代。その先頭を走る旗振り役のひとりだった服部凱杏はいま…?
「走る」という単純動作の繰り返しである長距離競技において、通常は身体の動かし方を深く意識することはほとんどない。だからこそ、一度それを気にしだすと、かえってどんどん正解を見失っていった。
「高2の冬頃からはもうずっとダメでした。調子が良いとか悪いとか、そういう次元じゃないんです。常にどこかが痛くて、そのまま走るから走り方も安定しない。でも周りの活躍は気になるから、(練習を)止められないんです」
高3の夏のトラック路線は、それでもなんとかごまかしながら1500mと5000mでインターハイまではたどり着いた。だが、全国の舞台で予選落ちに終わると、負のスパイラルはどんどん深まっていった。
迎えた12月、高校最後の都大路。
すでにチームのエースとなっていた鈴木を軸に、この年も佐久長聖高は全国で3位に食い込んだ。だが、そのメンバーに、世代を引っ張ってきたはずの服部の名前はなかった。
「結局2年目の不調をそのままずっとひきずって3年目に入っちゃって。練習も休むタイミングがわからないまま続けてしまって、最終的に都大路もメンバーから外れることになってしまいました」
駅伝強豪校ではなかった立大を選んだ理由は…?
そんな失意の服部が進学先に選んだのが立大だった。
同時期に立大は100回大会での本戦出場を目指して「箱根駅伝2024」事業を始めた。服部はその1期生にあたる。入部を決めた一番の理由は、同じ高校のレジェンドでもあった上野前監督の存在だった。「世界を視野に」という勧誘時の熱量も相まって、当時は強豪校とは言えなかった同大に進学を決めた。
そして新天地で、ようやく服部はすこしずつ輝きを取り戻す。
「監督がすごく休ませてくれて。『とにかく痛いなら(練習を)止めな』と言われて。それまでは休むのが怖くて、つい少し痛みが治まって来ると走ってしまっていた。でも、大学に入ったらすぐ『とにかく完治させてから』と。それで、少しずつ練習が積めるようになりました」
トレーニングをこなせるようになると、すこしずつ記録の伸びも戻ってきた。2年時には1500mで日本最高峰の舞台である日本選手権に出場すると、全日本大学駅伝の予選会でも好走。トラックレースでも自己ベストを連発するなど、かつての輝きを取り戻しかけた瞬間もあった。