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「アントニオ猪木でも死ぬんだ」没後1年、燃える闘魂の遺骨は“ある場所”を旅していた…猪木番カメラマンが記した「猪木のいない1年間」
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2023/10/06 17:00
アントニオ猪木は“永遠の旅人”なのかもしれない。1990年3月、セスナ機でブラジル・アマゾンの奥地に降り立った猪木
安田顕、神田伯山、古舘伊知郎…猪木に魅せられた人々
映画『アントニオ猪木をさがして』(10月6日公開)の話もあった。映画に使う写真の提供だと思ったら、それだけでなく初夏には安田顕さんとの対談が設定されたから、驚いた。
ドキュメンタリーとはいっても、映画だから何度か撮るのかと思っていたが、全く顔合わせもなしの一発勝負だった。
撮影が終わった後、映画で使う写真について、和田圭介監督から何度か電話があった。熱心さが伝わってきた。
「ありふれた作品にしたら、猪木さんに怒られると思った。いろんな意見が出るのは最初から覚悟していた」(和田監督)
完成試写会の舞台挨拶で藤波や藤原喜明、神田伯山らと並んだ和田監督はやたらと汗を光らせていた。「原さんにあんな近くで見ていられたら、汗かいちゃいますよ」と笑った。
スクリーンで見る猪木の写真は、通常の写真展とはまた別のものに見えた。ここまで大きなサイズで自分が撮った写真を見たことがないからだ。写真は宣伝ポスターのイメージにも使われているので、「猪木番」としては素直にうれしい。
8月には古舘伊知郎さんが『喋り屋いちろう』(集英社)という小説を書いたというので会いに行った。なんだか盛り上がってしまって、40年ぶりくらいに朝まで飲んだ。古舘さんは猪木がいなくてもしゃべりっぱなしだった。
旧友の一言「猪木さんは、やさしかった」
この1年、「猪木さんに献杯」という口実で酒席が増えたように思う。
9月12日には横浜市鶴見の總持寺で一周忌法要や猪木ブロンズ像の除幕式が行われ、ゆかりの人々やレスラーも多く参列した。
その数日後には「燃える闘魂」の名付け親である舟橋慶一さん、そして「出る前から負けること考えるバカいるかよ」と猪木に言われて「元祖闘魂ビンタ」を浴びた佐々木正洋アナとも、恵比寿の焼き鳥店で話した。
9月も残り少なくなって、猪木の命日が近づいたころ、ふと、何十年も話をしていなかったのに「会って話したいなあ」と思う人の顔が浮かんだ。
たぶん、猪木の名前が出ても、普通の人が思い浮かべない顔だ。でも、私は無性に会いたくなって、電話をした。
何かのついでではなく、その人と会って話をするという目的のために新幹線に乗った。