濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
裏テーマは“アントニオ猪木vs棚橋弘至”? 没後1年、名場面満載「猪木ドキュメンタリー映画」の見応えポイントとは
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byEssei Hara
posted2023/10/07 11:01
キューバでフィデル・カストロを訪問したアントニオ猪木
映画としてはまとまりが欠けている。ただ…
一本の映画として見れば『アントニオ猪木をさがして』にはまとまりが欠けている。ドラマパートを含め、それぞれの場面が有機的につながっていない印象だ。
ただ、だからこそ猪木なのだということもできる。たとえば「アントニオ猪木と異種格闘技戦」、「観客の感情を揺さぶる名パフォーマー・猪木」、「政治家・猪木」、「猪木名勝負10選」などテーマを絞って作品にすればまとまりが出ただろう。ただ、それでは“アントニオ猪木”そのものを描くことはできない。結果としてまとまりに欠けても、多面体を多面体として語ることが、猪木に対する誠実さだと製作者たちは考えたのではないか。従来のイメージを覆す『徹子の部屋』出演時の言葉を使用したことからも、それが伝わってくる。
「あの試合の映像がないじゃないか」、「猪木について語るなら、なぜあの人にインタビューしないんだ」という批判も出てくるだろう。しかしどれだけ長尺にしてもアレがない、コレが足りないという不満は出てくる。猪木は多面体であり、残した名勝負も名言も数えきれないのだ。
それでも見応えがある“最大の理由”
それでも本作に見応えがあるのは、一つはっきりとしたポイントがあるからだ。棚橋である。彼は“猪木後”の新日本プロレスを復興させた立役者。21世紀における日本プロレス界の最重要人物である。長髪を明るく染め、コスチュームはロングタイツ。「チャラい」とも言われるその風貌で新日本のイメージを変えた。
猪木=ストロングスタイルの代名詞といえば黒のショートタイツ。その正反対に位置するのが棚橋だ。道場のシンボルでもあった猪木の等身大パネルを外させたのも棚橋。そのあり方は“脱・猪木”とも言える。
だが“脱・猪木”の必要があると感じたのは猪木を理解していたからこそだった。“脱・猪木”ではあっても根底は“反・猪木”ではなかった。そのことが、本作のインタビューからもよく分かる。
「アントニオ猪木は問いかけをしてくる。でも答えはそれぞれの人間に任せている」
「プロレスはマイノリティのパワーを示すもの」
棚橋の言葉、その深味は、それこそ“猪木直系”とさえ呼びたくなるものだ。だからこそ、猪木と真っ向から対峙することもできた。