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「一年契約で、ダメなら無職」箱根10区“伝説のランナー”がそれでもJR東日本を辞め、皇學館大学の監督となった理由「奥さんに相談したら…」 

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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photograph byTadashi Hosoda

posted2023/10/09 06:01

「一年契約で、ダメなら無職」箱根10区“伝説のランナー”がそれでもJR東日本を辞め、皇學館大学の監督となった理由「奥さんに相談したら…」<Number Web> photograph by Tadashi Hosoda

寺田夏生は現在、32歳。今年7月に皇學館大学駅伝競走部の監督に就任した寺田に話を聞いた

 あの伝説の大会を憶えている人も多いだろう。第87回箱根駅伝の10区で起きた、波乱のアンカー対決。残り1kmを切ってなお、4人のランナーが8位集団を形成。そのうち一人だけがシード権(10位以内)を逃すという状況で、仕掛けたのが國學院大のルーキーだった。ゴールまで残り200mとなったところで、渾身のラストスパート。勝負あったと思った次の瞬間、コースを大きく外れて、観衆の悲鳴を誘ったのだ。その後、驚異のリカバリーを見せ、一人を抜き返して10位でゴール。悲劇と歓喜が交錯したあの交差路は、それ以降「寺田交差点」と呼ばれている。

「覚悟をもって頑張れ」単身赴任で伊勢へ

「まさに僕の代名詞ですね(笑)。案内してくれた職員の方は知ってくれてましたが、駅伝部の学生たちまで知っていたのは驚きでした。チームはみんな仲が良いので、多分、自分の情報をチームLINEかなんかで共有したんだと思います。

 前田さんとも話したんですけど、選手の走りの質だったり、寮の環境だったり、失礼ですけど、自分が思っていた以上にしっかりしていた。学生たちの方から色々と聞いてきてくれて、良い子たちだなって思いました」

 初対面の好印象で、腹の中は決まったようなものだった。あとは会社の上司をどう説得するか。幸か不幸か、大企業ゆえの懐の深さが、寺田さんにとっては追い風となった。

 当面の支障は出ても、それをカバーしうるだけの人員がいる。もちろん、多くの関係者から慰留されたが、覚悟の上での決断であることを話すと、最終的に上司らは「覚悟をもって頑張れ」と快く送り出してくれた。寺田さんは「理解ある会社で有り難かったです」と感謝する。

 6月末で会社を退社し、7月1日付けで新監督に就任。寺田さんは家族と別れ、一人で伊勢に赴く。人生第2幕のスタートだった。

「奥さんは、まあ頑張ってと。僕の中でやっぱり、家族がいると甘えではないですけど、逃げが出ちゃう気がして。ほんと息子には申し訳ないんですけど、自分の勝手で単身赴任を選びました。学生たちも4年間、人生を懸けて来ているので、僕もそれなりの誠意を見せないと失礼だと思って。今は大学が用意してくれた寮で生活しています」

重たく響いた一言

 駅伝部員が生活する寮に空きがなかったため、柔道部員らと共に別の寮で寝起きする毎日だ。大学までは歩いて数分。食事も出る。緑豊かな場所で、環境的には良さそうだが、次のひと言を聞いて、思わず背中がかたまった。

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