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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「一年契約で、ダメなら無職」箱根10区“伝説のランナー”がそれでもJR東日本を辞め、皇學館大学の監督となった理由「奥さんに相談したら…」
posted2023/10/09 06:01
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph by
Tadashi Hosoda
焦げ茶色に日焼けした顔から、白い歯がこぼれる。
「選手たちと一緒に走っていて、伊勢の太陽にやられました。想像していたよりも暑いですね」
そう話すのは、寺田夏生さん。この7月に就任したばかりの、皇學館大学駅伝競走部の新たな監督だ。まだこちらも「監督」と呼ぶのに慣れないが、本人ですらそうらしい。
「選手にも『監督』はやめてって言ってます。なんか偉そうじゃないですか。それよりは『さん』の方が良いので。『監督』って呼ばれると、自分じゃないような気がします」
監督打診の話は、まさに青天の霹靂だった。(Number Webインタビュー第1回、#2に続く)
「選手たちと一緒に走っていて、伊勢の太陽にやられました。想像していたよりも暑いですね」
そう話すのは、寺田夏生さん。この7月に就任したばかりの、皇學館大学駅伝競走部の新たな監督だ。まだこちらも「監督」と呼ぶのに慣れないが、本人ですらそうらしい。
「選手にも『監督』はやめてって言ってます。なんか偉そうじゃないですか。それよりは『さん』の方が良いので。『監督』って呼ばれると、自分じゃないような気がします」
監督打診の話は、まさに青天の霹靂だった。(Number Webインタビュー第1回、#2に続く)
皇學館の話があるけど…
遡ること3カ月余り、JR東日本の八王子支社で、この春から従事する駅前業務の研修を受けていた時、寺田さん宛に電話がかかってきた。その相手は、國學院大学陸上競技部の前田康弘監督。大学時代に指導を受けた恩師だった。
「皇學館の話があるけど、どうするー」
その軽い口調と内容とのギャップに、寺田さんは戸惑いを隠せなかったと話す。
「確かに前田さんには、将来的に陸上関係で仕事をしたいという話はしていたんです。でも、そんなに急にくるとは思っていなかったので。ちょうど駅に配属される前日でしたし、家族のこともある……。ちょっと時間を下さいって言ったら、『じゃあ考えといて』って感じで軽く切られました」
戸惑ったのも無理はない。寺田さんはこの春、約10年所属したJR東日本ランニングチームを退部したばかり。2月の大阪マラソンを最後に、実業団ランナーを引退していた。新たに社内研修を受け、3月中旬からはすでにJR八王子駅のみどりの窓口で実際の業務にも当たっていた。まさか新生活を始めたタイミングで、新たな選択肢が示されるとは思ってもみなかったことだろう。
寺田には妻と子どもがいた。相談すると…
人生はつねに、選択の連続だ。恩師からの話を引き受けるかどうか。それは安定を取るか、冒険するかの二択でもあった。