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棚橋弘至が“アントニオ猪木の等身大パネル”を道場から外した日「都合のいい話ですが…」新日本のエースが告白する“歴史の分岐点”の話
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byTakuya Sugiyama
posted2023/10/05 11:03
ドキュメンタリー映画『アントニオ猪木をさがして』にも出演している棚橋弘至
棚橋が道場の「猪木の等身大写真パネル」を外した日
――その後、棚橋さんの考えで新日本の道場に飾られていた猪木さんの等身大写真パネルをはずされましたよね。これも映画『アントニオ猪木をさがして』で重要なシーンとして出てきましたが、あの時の思いをあらためて聞かせていただけますか?
棚橋 猪木さんが新日本プロレスを創ったという意味ではいつまでも飾らせていただいてもいいんですけど、当時の猪木さんは自分で(IGFという)団体も作られて活動されていたので、そこで猪木さんのパネルをいつまでも飾ってるのはおかしいんじゃないかと思ったんです。それで「外しましょう!」と言って、外させていただいて。まあ、この映画の中でパネルを戻すんですけど、外したのが僕だったら戻せるのも僕しかいないなと思って。これが亡くなられたタイミングっていうのは哀しいことですけど。都合のいい話ですが、今後の新日本プロレスをもう一回見守ってほしいな、という思いがありますね。
――棚橋さんが初めてIWGPヘビー級王者になって早17年ですけど、あそこから新日本は大きく変わりましたよね。映画の中での棚橋さんと海野翔太選手の会話の中で、海野選手が「僕にとって新日本の象徴は棚橋さんなので、猪木さんの印象がないです」って言っていたのが印象に残りました。
棚橋 「ああ、そういう感じなんだろうな」とそのとき思ったし、すでに棚橋の試合を観てレスラーになった選手もけっこういるんです。僕らは猪木さんや藤波さん、武藤(敬司)さんとかの試合を観てレスラーを目指しましたけど、こればっかりは順繰りですよ。だから、いつまでも猪木さんは猪木さんでいてほしいですけど、そうやってプロレスはこれからも続いていくんじゃないかなと思います。
100年以上長く続く企業には3つの秘訣があるという話を聞いたことがあるんですよ。まず企業理念がしっかりしてること。次に企業の技術がしっかりしてること。そして3つ目が大事で、時代に柔軟に対応することなんですけど、そこが新日本はできていなかったので、僕が時代に合わせたものに変えたんです。新日本は旗揚げから「ストロングスタイル」というものを掲げて企業理念はしっかりしていたし、技術という面ではレスラーの練習量という大事な部分を道場が守ってきて、あとは時代に柔軟に対応するだけだったので。僕がチャラくなったりとか、ファッション、肉体、発信力など、プロレスを現代風にアップグレードして、とっつきやすくした結果なんじゃないかと思います。