ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
棚橋弘至が“アントニオ猪木の等身大パネル”を道場から外した日「都合のいい話ですが…」新日本のエースが告白する“歴史の分岐点”の話
posted2023/10/05 11:03
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
Takuya Sugiyama
――棚橋さんの前の世代までは、誰が猪木さんの闘魂を受け継ぐのかという争いをしていた感じがありますけど、棚橋さんはまったく別のやり方で新日本を盛り上げましたよね。
棚橋 猪木さんと同じやり方では、猪木さんには勝てないんです。だから橋本(真也)さんの世代がIWGPヘビー級チャンピオンの時も会場での締めは、みんな「1、2、3、ダーッ!」だったんですよ。
――90年代は猪木さんが登場しなくても、橋本さんなり藤波さんなり、メインで勝った選手が「1、2、3、ダーッ!」をやったりしてましたね。
2006年にあった「歴史の分岐点」
棚橋 それぞれの締めがなかったんですよね。そこは新日本の歴史年表で見ると「1、2、3、ダーッ!」時代があって、「愛してま~す!」時代があって、「カネの雨が降るぞ!」時代と「デ・ハポン!」時代がいま同時進行してる。そして、これは僕があとで聞いたんですけど、猪木さんが新日本で最後に「ダーッ!」をやったのは、2006年7月の札幌・月寒グリーンドーム大会で、僕はその日に初めてIWGPヘビー級チャンピオンになってるんですよ。だからそこで「ダーッ!」と「愛してま~す!」が入れ替わったんですね。
――まさに時代が交差した瞬間だった、と。
棚橋 あの日、僕はメインイベントだったので、猪木さんが来られて「ダーッ!」をやっていかれたのは知らなかったんですけど、それ以降、僕はメインで勝って「愛してまーす!」と言うようになって、歴史の分岐点がそこにありましたね。
――あの月寒の試合は、棚橋さんの歴史でも重要な一戦ですよね。
棚橋 混沌としてましたよね。当時IWGPヘビー級チャンピオンだったブロック・レスナーが来なくて、急きょ、新王者決定トーナメントになりましたし。
――IWGPヘビー級王座戴冠前後から、猪木色を払拭しないと新しい新日本を作り上げることはできないという思いが棚橋さんの中では強かったですか?
棚橋 はい。もう猪木さんには頼っていられないというか。神通力がなくなってたというか。猪木さんの名前でお客さんを会場に呼んでるわけではないので。「俺がお客さんを呼ばなきゃ」って思ってましたね。