ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「会社からはいろいろ言われましたけど…」タブーを破った男の告白…オカダ・カズチカはあの日、なぜアントニオ猪木の名を叫んだのか?
posted2023/10/05 11:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
Takuya Sugiyama
あの時、オカダ・カズチカは涙をこらえることができなかった。昨年10月10日、新日本プロレス両国国技館大会。団体の創設者アントニオ猪木が亡くなってから最初のビッグマッチ。リング上で「追悼10カウントゴング」のセレモニーが終わったあと、バックステージで記者陣に囲まれたオカダは、「(訃報を聞いて)バカヤローというのが最初(の気持ち)で、見に来てくれよという思いがあった。やっぱり悔しいですね」と、涙を浮かべながらコメントを出した。
あれから早1年。今年10月6日に公開されるドキュメンタリー映画『アントニオ猪木をさがして』で、オカダは観客のいないガランとした東京ドームの中でインタビューに答えている。東京ドームは1998年4月4日に猪木が引退試合を行い7万人(主催者発表)という同会場の観客動員レコードを作った場所であり、オカダにとっても強いこだわりを持つ会場だ。今回、この映画公開を前に、オカダ・カズチカに1年前に涙で語ったコメントの真意と、あらためて猪木への想いを聞いた。
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「何年も前から僕は、『東京ドームを超満員にする』ということをモチベーションにしてやってきたんですよ。昔の新日本プロレス東京ドーム大会の映像を観ると、本当にぎっしり満員のお客さんが入っていたので、僕らの力でまたあそこまで持っていきたい。ドームを超満員にすることができたら、それがまた話題になり、もっといろんなものに広げていけると思うので。
そして(2017年に)「プロレス総選挙」の際に初めてご挨拶させていただいたことがきっかけで猪木さんと食事会でご一緒させていただいてからは、その超満員になった東京ドームに猪木さんをお招きして、いまの僕らの試合を観てもらいたいと思うようになったんです。それは猪木さんに認められたい気持ちもあり、『俺がいなくても新日本はちゃんとやってるんだな』って安心してもらいたい思いもありました」