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「羽生さん、あなた名人だろう! いい加減、投げるべきだ」羽生善治を追い詰めるも、まさかの大逆転負け…森下卓が明かす「信じられないミス」の真相
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byKYODO
posted2023/10/17 06:00
1990年代、将棋界を席巻した羽生善治。七冠を目指す羽生に挑んだ棋士が当時を振り返る
「盤上には生き方が表れる」という将棋と人生を重ねる生き様である。
12歳で弟子入り。師匠からは「だらしない生活をする者は、だらしない将棋を指す」と教えられた。森下は自らを律し、17歳になる年の春から四段に上がるために毎日午前3時に起きて盤に向かった。対局前には不安で眠れず、徹夜で研究した時期もあった。
《誰よりも努力をして、将棋がすべての棋士だけが「勝ちたい」と思える資格がある。自分なりにそう考えてきました。盤上で勝つことこそが人生のすべてなんだと》
「将棋はゲームです」羽生の将棋観
ただ、張りつめ過ぎた糸はいつか切れる。名が売れるにつれ、付き合いができ、やがて恋を知った。青春をすべて盤上に捧げてきた若者の眼前に、初めて将棋より自分を惹きつけるものが現れた。
《時とともに、将棋をすべてにして生きることができなくなってきました。自分の定義に、自分が反している……》
森下は後ろめたさを胸の奥に抱え、揺れながらも盤上と人生を切り離していった。
一方、15歳で棋士となった羽生は将棋界に新しい価値観をもたらした。
「将棋はゲームです」と羽生は言った。生活や人間模様、人生を取り巻くあらゆるものを盤上から排除していた。
これは粘りというより…
時刻は午後10時にさしかかっていた。森下の優位はさらに色濃くなっていた。それでも羽生はまだ投了しなかった。これもまた羽生のもたらした価値観だった。将棋がゲームである以上、0.1%でも可能性があれば追求していく。そこに美学や生き様は無関係である。
それにしても、と森下は思った。
《これは粘りというより、ただ指しているだけではないか》
打ち切られていた解説
森下の駒台には2つの飛車をはじめ、6つの持ち駒が並んでいた。対する羽生の台には歩が2つあるだけだ。森下は意表をつくことも、冒険することもなく、1手ずつ着実に優位を奪う王道ともいえる将棋を指した。盤上と駒台における両者の優劣差はその積み重ねの証であり、森下の勝利が揺るぎないことを物語っていた。