話が終わったらボールを蹴ろうBACK NUMBER
「伸二なら、みんなついていく」稲本潤一でも遠藤保仁でもなく、黄金世代キャプテンは小野伸二以外考えられなかった…ナイジェリアで見た19歳の“天才”の実像
posted2023/09/29 17:00
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
AFLO
小野伸二が今季限りでの引退を表明した。
小野が望めば、それこそカズ(三浦知良)のように息長くプレーができそうだが、彼にしてみれば故障との戦いから解放され、ようやくホッとできる瞬間を迎えたのだと思う。
「伸二しかおらん」「伸二なら、みんなついていく」
1990年代後半、当時18歳の小野を初めて見た時は、全身から血の気が引き、鳥肌が立つほどの衝撃を受けた。その時代、前園真聖、中田英寿らサッカー界に新しい顔が生まれてきたが、小野はそういう選手とも異なり、プレーはまるでマンガの世界のサッカーを見せられているようだった。その名前はフランスW杯ですでに世界に知られていたが、改めて唯一無二の存在であることを証明したのが、1999年のワールドユースだった。
この大会は、ナイジェリアのラゴスを中心に開催された。当時、ナイジェリアは犯罪率の高さや蔓延する伝染病などから渡航中止勧告が出されていたため、日本のスポーツ新聞や雑誌社は会社から取材許可が下りず、現地に赴いた記者やカメラマンは海外支局の新聞社や通信社、フリーランスを合わせて、11名しかいなかった。実際、地方のインフラや衛生は最悪で、ホテルからは危なくて気軽に散歩もできない状況だった。環境的に、現在に至るまでU20日本代表にとって最も危険で苛酷な地で、世界との戦いに臨んだ。
代表メンバーは、のちに「黄金世代」と称され、日本代表の中軸になっていく稲本潤一、遠藤保仁、小笠原満男、中田浩二、高原直泰らそうそうたる顔ぶれだった。小野は前年のアジアユースに引き続いてキャプテンを任された。遠藤が「伸二なら、みんながついていく」といい、播戸竜二が「伸二しかおらんでしょ。18歳でW杯出てる。そんなすごい奴と一緒にやれるのはうれしい」と語っていたように、このチームのキャプテンは小野以外考えられなかった。
選手たちは小野の言葉をリピートするように…
小野のキャプテンシーは、初戦のカメルーン戦にさっそく発揮された。