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「伸二なら、みんなついていく」稲本潤一でも遠藤保仁でもなく、黄金世代キャプテンは小野伸二以外考えられなかった…ナイジェリアで見た19歳の“天才”の実像
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byAFLO
posted2023/09/29 17:00
9月27日、44歳の誕生日に引退を発表した小野伸二。日本が銀メダルを獲得し、世界に衝撃を与えた1999年ワールドユース大会をナイジェリアで取材したライターが当時を振り返る
小野の優勝宣言が徐々に伝播
決勝トーナメントに入り、負けられない試合がつづく中、選手たちは小野と同じ目標を抱くようになった。小野は、98年のアジアユースでワールドユースの出場権を獲得した時から「ワールドユース優勝」を公言していた。U17 の世界大会を経験した時は、世界との差を感じたが、今回はアジアユースからチームメイトの成長を感じており、優勝は十分に狙えると思っていた。小野の優勝宣言に、大会当初は懐疑的な表情を浮かべる選手が多かったが、勝ち進むにつれて「優勝」を口にするようになった。小野は、「僕は、優勝したいと言い続けてきて、その思いにみんなが引きずられたかどうかは分からないですけど、勝つことで自信がついて、みんな、世界のトップに立ちたいというようになった。みんなと優勝したいですね」と語ったが、チームのみんなが優勝と言えるレベルにまで成長し、その目標に向かって戦えることが何よりもうれしかったのだ。
小野不在で迎えた決勝戦
日本は、FIFAの世界大会で初めて決勝に進み、スペインと対峙することになった。
小野は準決勝のウルグアイ戦でイエローをもらい、累積警告のために出場停止になった。キャプテンの不在は大きな痛手だったが、その責任を感じてか、小野はベンチから声を枯らして指示を出し、応援していた。だが、日本はミスがつづき、立て直しができないまま0-4の大敗を喫した。小野の不在――それがいかに大きかったか、それを逆に際立たせる内容と結果だった。
優勝できなかったのは残念ですけど…
日本が表彰台に上がると、地元ファンから一際大きな声援が送られた。小野は、自分たちのサッカーが認められ、支持されたことに感謝の笑みを浮かべて、手を振った。