酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
ヤンキースGMもニコニコの「山本由伸2年連続ノーノー」沢村栄治らとも一線を画す“超大記録”なワケ…夏以降は無双の“異常な数値”
posted2023/09/12 11:01
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
JIJI PRESS
オリックスの山本由伸の2年連続のノーヒットノーランは歴史的な記録だと言える。史上3例目だが前回記録は82年も昔のことだ。近代野球では山本が初めてと言ってもよいだろう。
過去2例はいずれも戦前の記録だった
〈NPBの2年連続ノーヒットノーランの達成者〉
・沢村栄治(巨人)
1936年9月25日 タイガース戦 -球 打者31四死4振7
1937年5月1日 タイガース戦 -球 打者30四死3振11
・亀田忠(イーグルス・黒鷲)
1940年3月18日 ライオン戦 -球 打者34四死9振6
1941年4月14日 阪神戦 117球 打者33四死6振2
・山本由伸(オリックス)
2022年6月18日 西武戦 102球打者28四死1振9
2023年9月9日 ロッテ戦 102球打者29四死2振8
沢村栄治(1917~44)は言わずと知れた日本プロ野球草創期を代表する伝説のエース。両リーグで最高の先発投手に与えられる「沢村賞」はこの大投手にちなんだもの。1936年はプロ野球が創設された年。長嶋茂雄が生まれた年でもある。
沢村の9月25日のノーヒットノーランは日本プロ野球第1号だった。そして翌年5月1日には、前年と同じタイガースを相手に2年連続のノーヒットノーランを記録。この間、沢村のほかにこの記録を達成した投手はおらず、これが史上2回目ということになる。沢村は1944年12月2日に戦死している。
亀田忠(1912~76)は、ハワイ出身の日系二世、1938年春に日本のプロ野球に参加し、1940年3月18日のライオン戦で史上6番目のノーヒットノーランを記録。与四球9は史上2番目に多い。そして翌1941年4月14日の阪神戦で史上11番目のノーヒットノーランを記録した。
山本の記録はそれ以来である。
2つのノーノーを詳細に見ていくと
沢村、亀田の記録はプロ野球草創期、そして第2次世界大戦がはじまろうという大変な時期だった。物資はどんどんひっ迫し、野球どころではない空気が支配する中で、プロ野球選手は使い古しの飛ばないボールで公式戦を戦っていた。
このため極端な投高打低となっていた。沢村が最初に記録した1936年9月から1943年までのわずか7年で、ノーヒットノーランは18回も出ている。これを見ても、当時と、山本が投げている今の環境は「次元が違う」というべきだろう。ふたりの先人の記録は偉大であり、その価値は今も色あせないが、山本由伸の大記録はふたりとは一線を画するものだと思う。