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鎌田大地“ヤンチャ伝説”「高3で鳥栖に練習参加→腰パン叱られる」「監督何もわかってない、と言ってたら窓が…」本人が語る真相と“貫く本心”
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byShigeki Yamamoto
posted2023/08/07 11:01
ラツィオ移籍決定前、単独インタビューに応えてくれた鎌田大地。自身の伝説から移籍の話まで、縦横無尽に語ってくれた
きっかけは、1月後半に再開した後半戦から3試合も続いた発熱だった。この時期は週に2回のペースで試合が行われる変則的な日程で、そこでコンディションを崩してしまうと、なかなか状態が上がらなかった。
夕食後の坂道ダッシュなど、泥臭い“自主トレ”も
そのなかで鎌田が取り組んだのは、泥くさい自主トレーニングだった。まるで、脚に重りをつけて走ったり、廊下に椅子を並べてドリブルの練習をしていた高校時代のような――。
この時期は、夕食をとったあと、夜の22時くらいから自宅の前にある坂道をダッシュすることが日課になっていた。
「別に『頑張って努力をしています!』なんて言いたいわけではないですよ。ただ、いくつになっても、そこら辺の道路で、普通にそういうことができるのは自分の強みだとは思います」
そして、もう1つ。自身を奮い立たせてくれたのは、フランクフルトとの契約最終年だったという事実だった。新シーズンになれば、別のクラブへと移る可能性が高かったし、主力として失格の烙印を押されて最後のシーズンを締めくくるわけにもいかなかった。
「もちろん、そうやって状況を何とかしようとして取り組んでいたとしても、それが上手く効果を発揮するかどうかはわからないですよ。だから、そういうことを続けられる人はなかなかいないと思う。
でも、続けられる人が決して多くないとわかっていたからこそ、『俺はそういうやつらとは違う。坂道ダッシュをやり続けないといけない』と思えた感じです。まぁ今回のことはプロとして一つ、学びましたね」
努力が実を結ぶことを知っているからこそ
その言葉通りの成果は確かに表れた。4月に入ってから少しずつ状況を改善させ、シーズン最終盤の5月に行なわれた公式戦5試合で3ゴール、2アシストを記録したのだから。
確かに、鎌田がシーズン前半戦のような活躍をずっと続けていたら、最終的に公式戦47試合で16ゴール、7アシストだった成績がどこまで伸びたのか気にはなる。それでも、上手くいかないときにも、状態が上がるまでに淡々と汗を流せることと、そうした努力が実を結ぶということを改めて証明できたのは収穫だった。
と、ここまで読んだ人にはもうおわかりだろう。
鳥栖でのルーキーイヤーに森下監督に直談判しに行った3つ目の理由は、試合に出られない時期でも、自分はしっかり努力をしているという自信があったからなのだ。
その努力を現在も培っている鎌田は、カタールW杯で日本代表が涙をのんだ「PK」についても、興味深い考察をこう語る。
「自分がPK戦までピッチに残っていたら絶対に、PKを蹴っていました」
<#2につづく>
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。