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「野村克也監督がマウンドに走ってきた!」“どえらい状況”に大焦り…“vsイチロー”シリーズで快投! ヤクルト山部太「最高の1年」秘話
posted2025/05/10 11:03

1995年の日本シリーズ、対オリックス第2戦。山部太はロングリリーフで勝利を挙げて野村克也監督に迎えられる
text by

二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
Takahiro Kohara
ドラフト1位で入団したからといって長く活躍できる保証はない。ファンの記憶に強く刻まれる輝きは1年だけだったかもしれないが、その後も「細く」長く戦い続けた“1年だけの左腕エース”。そんな男の野球人生を追った。その名は山部「太」——。〈全3回の2回目/つづきを読む〉
1995年の快進撃
プロ1年目わずか1勝に終わったヤクルトのサウスポー山部太は、1995年シーズン前半だけで11勝を挙げる活躍を見せる。
バックスイングもフォロースルーも大きいフォームから伸びのある150km近い自慢のストレートでグイグイと押していくスタイル。右打者の内角をえぐる力強いクロスファイアで三振をバンバン取っていった。
「右バッターを並べてくることが多かったので、アウトローもそうですが、クロスファイアで入ってくるインハイは打ちづらいと思うんです。球速で言えば140~145kmくらいが多いんですが、バッターはもっと速く感じたのかなって。
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もしかしたらリリースポイントが、ほかのピッチャーよりも前だったのかもしれない。今みたいにデータや動画解析がないから分からないですけど、そんな気はしますね」
強化してきた下半身の力をうまく投球につなげることができていた実感はあった。ストレートを軸にフォーク、スライダーも駆使していたが、ブレーキの利いた縦のカーブが何より効果的だった。
「左では僕のほかに中日の今中(慎二)投手とか、縦のカーブを投げる人ってあんまりいなかったんじゃないですかね。あれが初球だと結構振ってこないんですよ」
後半戦にフル稼働の疲労が…
驚異のペースで白星を重ねていき、オールスターゲームにも選ばれた。巨人戦に強く、“ジャイアンツキラー”とも呼ばれるようになる。ただ後半戦に入ると、中継ぎもこなすことになる。自分のコンディションも関係していたという。