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「藤井聡太七冠との対局後、羽生善治新会長が深夜に…」申請殺到! 将棋アマ免状は「長嶋茂雄、アントニオ猪木にも」田丸昇九段が知る“マメ知識” 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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photograph byKeiji Ishikawa/JIJI PRESS

posted2023/07/12 17:20

「藤井聡太七冠との対局後、羽生善治新会長が深夜に…」申請殺到! 将棋アマ免状は「長嶋茂雄、アントニオ猪木にも」田丸昇九段が知る“マメ知識”<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa/JIJI PRESS

藤井聡太新名人と羽生善治新会長。2人のダブル署名となった将棋アマ免状は申請が殺到している

 明治時代から大正時代には、有力棋士たちが有力新聞に拠って独自の将棋団体を持ち、免状も発行して貴重な収入源としていた。1924年(大正13)に各団体が統合して日本将棋連盟が結成されると、免状の発行権は連盟に一本化された。

 写真は、岩手県久慈市の「三船十段記念館」に展示された将棋の免状と駒。

 柔道家の三船久蔵は、空気投げ(隅落とし)という神技を編み出し、平常心と集中力を鍛錬するために将棋を愛好していた。1953年には将棋連盟から三段の免状が贈られた。「会長 渡辺東一」「名人 大山康晴」「十四世名人 木村義雄」と、3人の棋士の署名がある。記念品の駒の箱の裏には、大山が「贈 三船先生 神技」と揮毫した。

長嶋茂雄、吉永小百合、猪木…田中角栄にも!

 将棋連盟は現代でも将棋を愛好した著名人に対して、棋士との記念対局や対談などを契機として、免状を贈呈することがある。何例か紹介する。

 1974年に長嶋茂雄(巨人軍新監督)に現役時代の背番号にちなんで三段の免状、1975年に吉永小百合(女優)に初段の免状、1978年にアントニオ猪木(プロレスラー)に五段の免状を、それぞれ贈った。

 田中角栄(元首相)は生前に将棋を愛好し、中原誠十六世名人らの棋士と交流があった。1993年に75歳で死去すると、将棋連盟は棋界初の名誉八段の免状を追贈した。1994年には長女で衆議院議員の田中真紀子がお礼を述べに将棋連盟を訪れ、理事たち(田丸も同席)と父親の将棋の思い出話に花を咲かせた。新潟の銘酒をお土産に持参した田中は、折りから米不足の時期だったので、「お酒よりもコシヒカリがよかったですかね」と笑顔で語った。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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