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「藤井聡太七冠との対局後、羽生善治新会長が深夜に…」申請殺到! 将棋アマ免状は「長嶋茂雄、アントニオ猪木にも」田丸昇九段が知る“マメ知識” 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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photograph byKeiji Ishikawa/JIJI PRESS

posted2023/07/12 17:20

「藤井聡太七冠との対局後、羽生善治新会長が深夜に…」申請殺到! 将棋アマ免状は「長嶋茂雄、アントニオ猪木にも」田丸昇九段が知る“マメ知識”<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa/JIJI PRESS

藤井聡太新名人と羽生善治新会長。2人のダブル署名となった将棋アマ免状は申請が殺到している

羽生会長は藤井との王座戦対局のち、深夜まで…

 将棋の免状の申請数は、1976年に現在の将棋会館の建設、1993年に米長邦雄新名人の誕生、1996年に羽生の七冠制覇の偉業などによって、過去に大きく増えたことがあった。

 そして、今年は羽生連盟会長、藤井竜王・名人のダブル署名が人気を呼び、将棋ファンの免状申請が激増している。通常は2カ月以内に順番に発送されるが、現在は3カ月ほどかかるという。

 藤井竜王・名人はタイトル戦の対局で全国を転戦している。東京の将棋会館に来て免状に署名するのは月に2日ほどで、どうしても遅れがちになる。

 羽生連盟会長も公務で多忙だが、合間を見て免状に署名している。6月28日の藤井竜王・名人との王座戦準決勝の対局では、21時台に敗れた後も深夜まで署名していたという。

 私はその話を聞いて、連盟会長時代の大山康晴十五世名人のことを思い出した。大山は対局日でも食事休憩の合間に免状に署名していた。1990年のA級順位戦の最終日に、桐山清澄九段に負ければ降級という深刻な対局でも、その習慣は変わらなかった。

40年間にわたって免状を書いていた“能筆家の棋士”

 羽生は以前に書の先生に習っていたそうだが、対局で多忙な事情もあって、現在は独自の流儀で書いている。

 藤井のデビュー当時の書は、中学生の習字という感じだった。しかし、タイトルを獲得して色紙などに毛筆で書く機会が増えてくると、現在は達筆になっている。自然な筆遣いの楷書体は、とても読みやすい。書の先生に習っているかどうかは不明である。

 将棋の免状の文章を一手に引き受けて書いていたのは、能筆家の棋士の荒巻三之九段だった。1953年(昭和28)から78歳で亡くなる1993年まで、40年間にわたって書き続けた。多い年は年間で6000枚に及んだという。1992年には将棋連盟から「免状書記四十年」として、記念品と金一封が贈られた。

 免状の独特の書体は、荒巻九段の技術と工夫による。現在もそれは引き継がれ、能筆家の連盟職員らが免状を書いている。

免状申請、料金はどれくらいになる?

 将棋連盟に免状を申請するには、棋士や普及指導員の推薦を受ける、新聞や将棋雑誌の昇段コースを受検する、ネット将棋で資格を得るなど、いろいろな方法がある。免状料金は、初段(3万3000円)、二段(4万4000円)、三段(5万5000円)など。詳しくは将棋連盟のホームページを見てほしい。

 なお、免状の段位は実際の棋力ではなく、自身の目標として取得していいと思う。

 将棋の免状は江戸時代からあり、名人(将棋所)が発行権を有していた。ある名人が与えた免状には、「其許(そなた)は予(わたし)に学ぶこと久しい。機に乗じて作戦も見事だ。依って五段、角落の手合を免許する」と書いてあった。段位と名人との手合が関連していた。

【次ページ】 長嶋茂雄、吉永小百合、猪木…角栄にも免状が贈呈された!

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