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「成績不良で放校処分」の“ギャング”河口正史と共闘で大学アメフト日本一に、“ゴーンヌ”実況・近藤祐司が振り返る「“NFL選手”の夢を諦めるまで」 

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寺島史彦(Number編集部)

寺島史彦(Number編集部)Fumihiko Terashima

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photograph byYuji Kondo

posted2023/06/30 17:01

「成績不良で放校処分」の“ギャング”河口正史と共闘で大学アメフト日本一に、“ゴーンヌ”実況・近藤祐司が振り返る「“NFL選手”の夢を諦めるまで」<Number Web> photograph by Yuji Kondo

立命館大のフリーセーフティとして活躍していた近藤祐司さん。同じく帰国子女で同期生の河口正史とともに戦った大学時代を振り返った

「まさに人生を変えた試合です。関学は序盤はダメでも、最後には対策を見つけて、勝ってくるチームなんです。この試合も第4クォーターに逆転されて『また同じパターンや……』と思っていたら、1学年後輩で天才QBと言われていた東野(稔、のちの日本代表)が超ロングパスを決めてくれた。僕はディフェンスなのでベンチで観ていましたが、まるで空中で時が止まったような放物線で……。今でもあの光景は鮮明に思い出せます。ふたたび逆転して、4点差を守り切って17-13で勝つことができた。試合に勝って泣いたのはこの時が初めてでしたね。

 ただ……法政大との甲子園ボウルは僕にとって人生最低のパフォーマンス。試合前に新聞でも『法政オフェンスと立命館・近藤のスピード対決!』みたいに取り上げられたんですが、やる気が空回りしてしまった。気持ちが先走ってオーバーパシュート(ディフェンスが相手に先回りしすぎ、かわされること)を連発して、あげく肘を脱臼して途中交代……。チームは勝って大学日本一になりましたけど、僕にとっては一生忘れられない最低の試合でした。学んだのは、自分の力以上のことを出そうとしたらダメだ、ということ。大きな舞台であればあるほど、普段通りのプレーをしなければいけない。これは今の実況の現場でも肝に銘じています」

後悔をずっと抱えたまま、今に至っている

 日本一をかけて社会人と学生の王者が戦うライスボウルでは松下電工に惜敗。近藤さんは、リーグ連覇はもちろん、前年届かなかったライスボウル制覇を目標に最上級生となった。「QBもそのままだし、ディフェンスは前年のメンバーがほとんど残っていたし、勝てないわけがない、連覇できないわけがない、と信じていました」。リーグ戦では関学大を再び破る。しかし立ちはだかったのがもう一つの巨大な壁、京大だった。全勝対決となった最終戦は「涙の2ヤード」と呼ばれ、今なお大学アメフトの歴史に残る名勝負として語り継がれている。スコアは3-7。近藤さんの青春は突然、終わりを告げた。

「最後、タッチダウンまであと2ヤードというところまで迫ったけど、届かなかった。実はこの時、僕ら立命館には絶対にパスが繋がる、デザインされた必殺のプレーがあったんです。でも少しのミスで、最後の最後にこのプレーが失敗してしまった。ただオフェンスの選手たちだけが悪いわけではありません。7点を取られたのも、ディフェンスのたった1回のミスだった。つまり、攻守ともたった1回のミスで勝利は僕らの手からこぼれていってしまったわけです。ここで終わるつもりなんて1ミリもありませんでしたから、翌日からもう何をすればいいのかわからなかった。腑抜けです。結果を受け入れるのが凄く難しかったし、正直に言えば今でもどこか受け入れきれていない。勝てなかったことへの後悔をあの日からずっと抱えたまま、今に至っている気がします」

人生の大事なタイミングでまさかの怪我

 卒業後の1996年、総合商社に入社するも半年ほどで退社。断ち切れなかったアメフトへの未練は、NFLヨーロッパへの挑戦へと近藤さんを駆り立てた。

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