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「成績不良で放校処分」の“ギャング”河口正史と共闘で大学アメフト日本一に、“ゴーンヌ”実況・近藤祐司が振り返る「“NFL選手”の夢を諦めるまで」 

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寺島史彦(Number編集部)

寺島史彦(Number編集部)Fumihiko Terashima

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photograph byYuji Kondo

posted2023/06/30 17:01

「成績不良で放校処分」の“ギャング”河口正史と共闘で大学アメフト日本一に、“ゴーンヌ”実況・近藤祐司が振り返る「“NFL選手”の夢を諦めるまで」<Number Web> photograph by Yuji Kondo

立命館大のフリーセーフティとして活躍していた近藤祐司さん。同じく帰国子女で同期生の河口正史とともに戦った大学時代を振り返った

 当時の立命館は関西学生リーグで関西学院大と京都大に継ぐ3番手に甘んじていた。毎年のように優勝候補に挙げられながらも1953年の創部以来頂点に立てず、部内にはまだ厳しい上下関係や理不尽な練習が存在していた。

「アメフトは実力主義」という信念

 アメリカ帰りの2人は、受け入れがたい旧弊を打破すべく改革に乗り出した。誰にでも臆さずにはっきりと「NO」を突き付ける海外帰りの2人は文字通りの異分子だった。

「もう、疑問に思うことがあったらどんどん言っていくタイプでしたから、言ってみれば鼻つまみ者ですよね。事あるごとに『それ必要ありますか?』ですから。上の人たちからしたら『黙ってやれよ』という感じだったと思います。ただ、僕にはアメフトは先輩後輩じゃなくて、実力主義だという信念がありました。だから僕は実力で絶対に負けないためにひたすらトレーニングに打ち込んだんです」

カメラに向かっての「敬礼ポーズ」が“問題”に

 言葉通り、入学当初から抜きんでた実力を示し、リーグ戦でも出場を重ねていった。しかし――。

「リーグ戦はテレビ放送があるんで、ビッグプレーをしたらカメラに向かって子どもの頃から好きだった『敬礼ポーズ』をしてやろうと思っていたんです。なにせカメラの位置をあらかじめチェックしていましたからね(笑)。それで何試合目かの神戸大戦で敬礼を初めて披露したんですが、案の定『生意気だ!』となって、メンバーから外されたんです」

 だが、「敬礼ポーズ」はいつしか近藤さんの代名詞として浸透し、徐々にチームも異分子たちを受け入れていった。FS近藤とLB(ラインバッカー)河口をはじめとする抜群の身体能力と野性味に溢れる立命館ディフェンス陣は「アニマルリッツ」と呼ばれ、ライバルから恐れられるようになった。

人生を変えた試合

 実を結んだのは1994年、大学3年生のシーズンだった。後塵を拝し続けた関学、京大の牙城を崩し、悲願の初優勝を遂げた。京大を15-6で破り、全勝対決となった関学戦は、近藤さんにとってのベストゲームとなり、試合中にはおなじみとなった「敬礼ポーズ」も飛び出した。

【次ページ】 後悔をずっと抱えたまま、今に至っている

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