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「成績不良で放校処分」の“ギャング”河口正史と共闘で大学アメフト日本一に、“ゴーンヌ”実況・近藤祐司が振り返る「“NFL選手”の夢を諦めるまで」
posted2023/06/30 17:01
text by
寺島史彦(Number編集部)Fumihiko Terashima
photograph by
Yuji Kondo
2015年から8年間務めた北海道日本ハムファイターズの主催試合の実況を卒業した今年も、毎日のようにプロ野球はもちろん、MLB中継やNBA、NFLなど幅広い競技の実況をこなしている。
今でこそ野球実況のイメージが強い近藤さんだが、元々は1994年に立命館大学パンサーズを創部以来初の甲子園ボウル優勝に導いたアメフトの名選手だった。近藤が明かす、知られざる大学時代、そして伝説の日本人プレーヤー河口正史との出会いについて――。<全3回の第2回/前回は#1「アメフト少年」へ、「実況」編は#3へ>
白人と殴り合いの喧嘩をする「マーサ」
「彼(河口正史)は僕と同じ帰国子女で、カリフォルニアのオレンジ・カウンティにあるサン・クレメンテ高校にいたんですが、実は高校の時にも噂を聞いたことがあったんです。サン・クレメンテに通っているスペイン人が、僕のルームメイトのところに遊びに来た時『怖い日本人だったら嫌だなと思ってた』なんて言うわけです。聞くと、彼のところには『マーサ』というアメフト部の日本人がいて、先生の言うことは聞かないわ、白人と殴り合いの喧嘩はするわ、もうギャングみたいな奴だと(笑)。僕は『日本人にはそんな悪い奴はいない、そいつは絶対日本人じゃないよ!』と話したことがあったんです。で、大学の顔合わせの時に『サン・クレメンテから来た河口です』(笑)。実在したのか!とピンと来て『えっ、お前のこと知ってるよ!』と話しかけて、すぐに意気投合しました」
河口は、中学時代に所属していた野球部を近藤さん曰く「クーデターを起こして」廃部に追い込み、高校はラグビー部にいながら成績不良で放校処分となった果てにアメリカに渡ったという波乱に富んだ経歴を持つ。「マーサは僕の世界観を変えてくれた」と近藤さんは振り返る。
「同じアメリカ帰りでも、僕とマーサは全然違いました。留学生というのは『小さな外交官』であって、日本人を代表してビザをもらって海外に滞在する、という感覚だったんです。だからこそ日常生活でもちゃんとしなくてはいけない、という指導を受けていた。一方のマーサは豪快で、アウトロー。アメリカでも我を通して、堂々と渡り合ってきたんですから、めちゃくちゃ刺激を受けましたね」
「原付で帰れるから」合宿中も帰宅
ただ、近藤さんもまた、十分に「とんがって」いた。入学直後に行われる部を挙げての花見には「明日の練習に支障をきたすから」と参加せず、合宿所に1週間泊りがけで行う恒例の合宿でも「原付で帰れるから」と帰宅したという。