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「薫は別格だと確信しました」三笘薫は小学生からスゴかった! 恩師が明かす秘話「あれほど号泣しているのを見るのは初めて。後にも先にも…」
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byKAWASAKI FRONTALE
posted2023/06/29 17:03
サッカー日本代表で別格の存在感を放つ三笘薫。小学生時代から”別格”だったという、その原点を訪ねた
「薫は別格だと確信しました」
生粋のドリブラーだったわけではない。パスセンスのほうが光っていた時期の話である。直接、指導するようになり、感心したのは意識の高さだ。小学生ながらに生活習慣のチェックシートも、サッカーノートもきれいな字で欠かさずに書いてきた。栄養バランス、歩き方、椅子の座り方まで、コーチ陣の教えは忠実に実践。食事のときも、ミーティング中も、背もたれを使っているところを見たことがない。
「いつも姿勢よくしているので、あるとき『普段から意識しているのか』と聞くと、『だって、大事なんでしょ』と当たり前のように言葉を返してきて。いつしか、無意識にできるようになっていました」
技術の習得に関しても同様。指導者が要求すれば、まず試す。「左足のインフロントよりも右足のアウトサイドの方を正確に蹴れることが武器になる」と伝えると、指示通りそれを徹底した。どん欲に新しいことを吸収し、成長は加速していった。
声もかけられないくらいに号泣した三笘
ただ、サッカーは思い通りにいかないこともある。
川崎F U-12のキャプテンとなった小学校6年生のシーズン。主要大会で全国制覇を果たすなか、集大成となる夏の全日本少年大会は準決勝で名古屋グランパスU-12に敗退。三笘と同じピッチに立っていた岸は、あの日の光景を忘れることができない。
「薫が試合で、あれほど号泣しているのを見るのは初めてでした。声もかけられなかったくらいです。すごく負けず嫌いでしたが、ピッチで涙を見せることはなかったので。僕が知る限りでは、後にも先にもあのときだけですね」
監督の高崎も選手たちの全国大会に懸ける思いは理解していた。だからこそ、個の成長には常に気を配りつつ、全体のバランスを考えた配置でチームの勝利を目指した。
6年生の夏は、ひとつの区切りだった。選手個人の将来を見据えたポジションと役割を与え、一度リセット。パサーとして類まれな能力を発揮していたボランチの三笘は、トップ下に移し、新たなタスクを課した。