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「薫は別格だと確信しました」三笘薫は小学生からスゴかった! 恩師が明かす秘話「あれほど号泣しているのを見るのは初めて。後にも先にも…」
posted2023/06/29 17:03
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph by
KAWASAKI FRONTALE
現在発売中のNumber1075号掲載の[原点を訪ねて]「涙の夏から始まったドリブラーの覚醒 さぎぬまSC~フロンターレアカデミー」より内容を一部抜粋してお届けします。【記事全文は「NumberPREMIER」にてお読みいただけます】
18歳の夏だった。場所は麻生グラウンド。高校年代の公式戦でキックオフから5人、6人を抜き去って幼馴染が決めたゴールは、いまも脳裏に焼き付いているシーンの一つだ。
現在、世界最高峰と言われるイングランド・プレミアリーグで1年目から活躍するブライトンのドリブラーを見ると、昔の鮮烈な記憶が次から次によみがえってくる。小学校1年生の終わりから高校3年生までの11年間、さぎぬまSC、川崎フロンターレのアカデミーで三笘薫と切磋琢磨してきた同期の岸晃司は、しみじみと話す。
「高校まではスピードでぶっちぎる場面はあまりなかったですが、タイミングをずらして、ヌルヌルと抜いていく独特のドリブルは、昔の薫のままだなって。ボールを運びながら右足のアウトサイドで出すパスもそう。もとはフロンターレのジュニア(U-12)時代に教えられたものです」
ランドセルを背負っていた頃は、ほぼ毎日一緒に時間を過ごしていた。互いの自宅は徒歩数分の距離。3年生を迎える前にさぎぬまSCから川崎F U-12.1期生のセレクションを受け、そろって狭き門を突破。100人以上が受験した中で合格した2年生は3人のみだった。
「一瞬の動きの速さを見て、『これは化けるかも』と」
選考に関わった川崎F U-12元監督の高崎康嗣(現フガーリオ川崎アドバイザーほか)は、17年前の冬のことをよく覚えている。
「2人とも飛び抜けた存在でした。すでに相手を見てサッカーができていましたから。薫は楽しそうにボールを蹴っていましたよ。ギリギリでプレーを変えられる目と、一瞬の動きの速さを見て、『これは化けるかも』と思いました」
三笘がチームに入ってきたのは、小学校3年生になったばかりの時期。当時の練習場の一つであるフロンタウンさぎぬまであらためて身体能力の高さに驚かされた。動きがしなやかで、体の柔軟性も高い。そして、思った以上の初速に目を丸くした。