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「ロコ・ソラーレには全員パートナーがいた」世界選手権・銀メダルペア、北海道の谷田康真が“軽井沢の才媛”松村千秋と組んだ理由「何でもできる女性で…」
posted2023/06/24 17:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
WCF / Eakin Howard
快挙に至るまでには、ミックスダブルスを取り巻く環境、男女2人でチームを構成する種目ならではの難しさなどいくつもの壁があった。それらをどう乗り越え、彼らはメダルを手にしたのか(全3回の第1回、続きは#2、#3へ)。
劇的なメダル獲得から約1カ月半。
「大会のときはまだふわふわしていて気持ちの整理ができていなかったのですが、帰国していろいろな方々とお話ししたり、記事を目にしたりして、徐々に実感が湧いてきた感じですね」
谷田康真は姿勢を正してそう語る。
世界選手権での銀メダル、それは本人たちだけでなく、日本のカーリング界にとっても、大きな意味のあるメダルであった。
2人は「4人制のトップ選手」だった
カーリングと言えば4人で戦うもの。控えの「フィフス」を含めれば5人で行う競技というのが、大方の認識であるのは否めない。女子日本代表(ロコ・ソラーレ)が平昌、北京両五輪でメダルを獲得したのをはじめ、これまで脚光を浴びてきたのは「4人制」。男女1人ずつでチームを形成するミックスダブルスは、日本ではどうしても認知度が低かったのが現実だ。オリンピックで採用されたのが2018年の平昌五輪からという事情もある。
その認識が観る側だけに限らないのは、じつは松村と谷田による日本代表の成り立ちが物語っている。
2人はそれぞれ、4人制のチームで活動してきた。
松村は日本のトップチームの1つである中部電力が創部して3年目の2011年に加入し、すべてのポジションをこなしながら今日までチームの軸であり続けた。世界選手権には3度出場し最高成績は4位。
谷田もまた、日本男子のトップチームの1つ、北海道コンサドーレ札幌で活動。前身の4REALに2016年から加入し、世界選手権にも3度出場し、そのうち2回、4位の成績をおさめている。
ダブルスに関心がなかった「片手間」の時期
平昌五輪からミックスダブルスが採用されたことから日本カーリング協会で強化の機運が高まり、4人制で活躍する選手に参加を求める声がかかった。その中で松村と谷田も、別の選手とのペアでプレーを始める。当初、ミックスダブルスへの意識は決して高いものではなかった。谷田は言う。