甲子園の風BACK NUMBER
離島から甲子園出場→20年後は部員ゼロの衝撃…隠岐高校・34歳監督が明かす“行動しなかった”後悔「一度ゼロになると負の連鎖が…」
text by
樫本ゆきYuki Kashimoto
photograph byYuki Kashimoto
posted2023/05/06 11:02
島根県立隠岐高校の野球部監督・渡部謙(34歳)。バックは隠岐諸島と本土(島根県、鳥取県)を結ぶフェリー
「小さい島なので、学童、中学野球部員の減少がこちらに直結するんです。しかも一度ゼロになってしまうと、その下の子たちも『なんだ9人そろわないのか。連合チームで出てもなぁ……』と思ってしまう。そうすると、本土の強豪校にいってやったほうが勝てるチャンスが広がると思い、島外に流れる。負の連鎖となって、2年連続で部員が入ってこなかったのです。これが大誤算でした。隠岐高でもちゃんとやれるよ、目指せるものがあるよ、ということを伝える努力が私自身、足りなかったんです。『待っていたら部員が入ってくれる時代はもう終わったんだな』と思い、愕然としました」
反省は尽きない。現状維持で進んでいたら、衰退がはじまっていたからだ。ただ、可能性を求めて高校から島外に出た生徒を責めるわけにはいかない。むしろ応援したい気持ちだ。昔と違い、選択肢の幅が広がったことで高校選びの自由度が増した。その影響が離島の野球部を直撃したのだ。
「うまい子」は今もいる…離島の特異性
そもそも、島の野球熱が冷めたわけではなかった。加えて、野球がうまい子どもはいまも島内に一定数いると言う。「離島甲子園」という言葉を耳にしたことがあるだろうか? 離島に住む中学生のための全国大会で、故・村田兆治氏が中心となって盛り上げてきた国土交通省後援の大会だ。この大会で隠岐は13大会中最多の優勝3回を誇っている。
監督として優勝3度を果たし、地元の子どもを30年以上指導している「隠岐ベースボールクラブ」の平井利和代表に話を聞くと、隠岐に限らず島育ちの子どもの運動能力について「自然の中で育った子は力が強い」と話す。離島・奄美大島(鹿児島)から今年ソフトバンクに入団した大野稼頭央のように、離島からでも甲子園出場、プロ野球入団を実現させる選手もいるのだ。隠岐の野球少年のことを「カンガルーのように強くて、ウサギのように跳ぶ」と表現した保護者もいた。2003年にセンバツ出場したときも50m6秒3以内の選手が9人中7人もいる俊足軍団だった。
平井は「いまのメンバーには相撲の全国大会に出た子もいます。中学校の部活は人数がそろわない学校が増えているので、地域クラブが盛り上げていかんといけないですね」と使命感を燃やしている。渡部はこういった地元の中学指導者と密に連携していくこともこれからは必要だと考えた。少年野球の練習を見学すると、アッと言わせる俊足の選手や、豪快なスイングで打球を飛ばす選手がいる。改革をしていけば、再び甲子園を目指せるチームを作れるのではないか。その可能性がゼロではないことを肌で感じている。そのためには、地元の人たちにまた応援してもらえる雰囲気づくりが必要だと考えている。
ゼロからの再建。果たして渡部はどのような方法で野球部を立て直していくのか。部活動が「なくなって」得た気づき、そして並々ならぬ熱意が、島民の心を動かしていく。
〈つづく〉
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