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離島から甲子園出場→20年後は部員ゼロの衝撃…隠岐高校・34歳監督が明かす“行動しなかった”後悔「一度ゼロになると負の連鎖が…」 

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樫本ゆき

樫本ゆきYuki Kahimoto

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posted2023/05/06 11:02

離島から甲子園出場→20年後は部員ゼロの衝撃…隠岐高校・34歳監督が明かす“行動しなかった”後悔「一度ゼロになると負の連鎖が…」<Number Web> photograph by Yuki Kashimoto

島根県立隠岐高校の野球部監督・渡部謙(34歳)。バックは隠岐諸島と本土(島根県、鳥取県)を結ぶフェリー

「島外への交通手段は船、または飛行機です。コンビニはなく、20時以降開いているスーパーは1軒だけ。レジャー施設がないから子どもたちの娯楽は、釣りが人気ですかね。映えスポット? それは大自然でしょうか」

 島根生まれで、出雲商出身。島根県立大短大部から香川大学に編入し、松江商部長などを経て現在に至る。「魚も野菜も美味しいし、快適に暮らしています。学習塾がないから、学校の頑張りが試される土地なんです」と、不自由のない島の暮らしを明るく話してくれた。

 部員がゼロになったのは、昨年の7月だ。オール3年生の単独チーム11人で臨んだ島根大会・初戦(2回戦)で安来(やすぎ)に0-1で敗れ、部の活動はそこまでとなった。負ければ活動が終わってしまう野球部。選手たちにとってそうとうのプレッシャーがあったと思うが、最後まで笑顔を絶やさず投げ続けたエース永海(ながみ)天真の力投は立派だった。一時は部員不足で単独チームが組めなくなる危機もあったが、バレー部から3人勧誘して11人のチームを作り、練習してきたという。

 試合後、渡部は「部員はいなくなりますが、必ずまた試合に出られるよう、野球部を続けていきます」と前向きに宣言した。この現状をドラマチックにしないことが重要だったからだ。渡部は言葉選びに気を配り「休部」という言葉を絶対に使わなかった。「ゼロ」という報道が広がりすぎると、入部のハードルが上がってしまい、これから入りたいと思う生徒が入りにくくなってしまうからだ。

「『いつでも待っているよ』というスタンスでいることが大事だと思い、扉をいつも開けている状態でいようと思いました」

なぜ「部員ゼロ」に?

 部員ゼロになった理由はいろいろあった。少子化はもちろん、それ以外も。そもそも隠岐高の全生徒数は約200人。男子生徒の数は学年50人に満たず、もともと少ない。かつては「野球部に憧れて」入学する生徒が多かったが、いまは違う。それでもコンスタントに学年5人でも入っていれば、こうはならなかったはずだ。

 昨年のエース永海に聞くと「1個下の代は中学のクラブも人が少なくて、合同でやっているような状態で、そもそも人がいなかったんです。2個下の代は人もいてレベルも高かったのですが、本土(出雲、浜田、松江など)の高校に行く子が多くて島に残らなかった。自分たちもどうすることもできませんでした」。たった2年間でも1年で理由が全く違うことに驚いた。

 この点について、渡部が苦しい胸の内を打ち明ける。

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