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「えっ、ワープした?」誰もが驚いたゴールドシップの皐月賞…トライアルには出ずに“GI本番で初対決”の流れを作ったのは、あのゴルシだった
posted2023/04/16 06:00
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
JIJI PRESS
クラシック三冠競走の皮切りとなる今週末の第83回皐月賞(4月16日、中山芝2000m、3歳GI)には、ソールオリエンス、ベラジオオペラ、マイネルラウレアの3頭が無敗で駒を進めてきた。揃って無敗ということは、すなわち、これらは一度も直接対決をしていないということだ。ほかに、ダノンタッチダウン、ファントムシーフ、フリームファクシといった有力馬も、ここに記した他馬と一度も対決していない。
よくぞ、これほど別々の路線を歩みながら出走にこぎ着けたものだと思うが、最近は、強い馬ほど使うレースを絞り、このように、GIで初めて顔を合わせるケースが多くなった。
こうした傾向が顕著になったのはいつごろからだったか。思い起こすと、やはり、2011年に開場したノーザンファーム天栄をはじめとする外厩が本格的に機能するようになったころからだ。
ゴールドシップが作った“ある流れ”
それと、皐月賞に関しては、もうひとつ。というか、もう1頭。
「不沈艦」とも「猛獣」とも呼ばれた芦毛の強豪ゴールドシップが、2012年、史上初めて共同通信杯からの直行で皐月賞を制し、1990年のハクタイセイと並ぶ中62日での最長間隔優勝を果たしたことも大きかった。
ゴルシに続けとばかりに、2014年のイスラボニータ、15年のドゥラメンテ、16年のディーマジェスティと、3年連続で共同通信杯から直行した馬が皐月賞を制した。21年のエフフォーリア、昨年のジオグリフも同じローテーションだ。このように、間隔をあけて結果を出す馬が多くなると、トライアルを使わず、GIで初めて顔を合わせるケースが多くなるのも頷ける。
皐月賞の最長間隔優勝記録は、その後、サートゥルナーリア、コントレイルによって更新されるのだが、今回は、この流れをつくったと言えるゴールドシップについて、皐月賞を勝つまでの蹄跡を中心に振り返ってみたい。
ゴールドシップが皐月賞を勝つまで
ゴールドシップは09年3月6日、北海道沙流郡日高町の出口牧場で生まれた。父ステイゴールド、母ポイントフラッグ、母の父メジロマックイーン。言わずもがなかもしれないが、父ステイ、母の父マックイーンの組み合わせは、1歳上の三冠馬オルフェーヴルと同じである。
ゴールドシップは、父から激しい性格と卓越した競走能力を、530kg台で競馬をしたこともある母からは恵まれた馬格を受け継いだ。
同馬は、2歳時の11年3月の初め、福島県天栄村の吉澤ステーブル分場に移動した。しかし、直後に東日本大震災が発生。浦河の吉澤ステーブルに戻り、石川県の小松トレーニングセンターを経て、栗東・須貝尚介厩舎に入厩した。破天荒なキャラとは結びつきづらいが、この馬も震災の「被災馬」なのである。