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「えっ、ワープした?」誰もが驚いたゴールドシップの皐月賞…トライアルには出ずに“GI本番で初対決”の流れを作ったのは、あのゴルシだった
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byJIJI PRESS
posted2023/04/16 06:00
皐月賞の歴史の中でもファンに衝撃を与える決着となった2012年、ゴールドシップの快走。
ゴールドシップからの「プレゼント」
担当となったのはベテランの今浪隆利厩務員。今浪厩務員は、のちに「真っ白なアイドル」とも「純白の女王」とも呼ばれる白毛のソダシも担当する。サンデーサイレンス産駒のシラユキヒメの母系出身のソダシもまた、気性の激しさを秘めた馬だった。
ゴールドシップが栗東に来たのとほぼ同時期に、のちに日本馬初のレーティング単独世界一となるジャスタウェイも入厩してきた。以降、2頭の馬房はずっと隣同士になる。同い年で、ともに高い素質を持った2頭は、互いに支え合って名馬への階段を上って行く。他馬が後ろに来ると怒るゴールドシップを落ち着かせるため、いつもジャスタウェイに前を歩かせるなど、陣営は工夫した。
須貝調教師によると、このように普段は仲がよくても、併せ馬では互いに闘争心を駆り立てる間柄だったという。
ゴールドシップは11年7月の函館新馬戦を秋山真一郎の手綱で勝ち、9月の札幌のコスモス賞も連勝。安藤勝己が騎乗した次走の札幌2歳ステークスと、暮れのラジオNIKKEI杯でつづけて2着となる。
翌12年2月12日、内田博幸を背に共同通信杯を勝ち、重賞初制覇。開業4年目の須貝厩舎にとっても初の重賞勝ちだった。前年春の落馬で頸椎を骨折し、2週間前に復帰したばかりだった内田は、「ゴールドシップが、怪我からのし上がっていく第一歩をプレゼントしてくれました」と微笑んだ。
皐月賞での衝撃の「ワープ」も凄かった
そこから皐月賞に直行したゴールドシップは、単勝7.1倍の4番人気に支持された。
前日の雨のため、稍重の発表以上に芝コースは荒れていた。ゲートが開くと、メイショウカドマツとゼロスが激しくハナを争い、後ろを大きく離して先行する。ゴールドシップは最後方。
4コーナーでほとんどの出走馬が、馬場の荒れた内を避けて大きく外を回るなか、ゴールドシップは内を「ワープ」するようにショートカットし、直線に向いたときには3、4番手に押し上げていた。
先頭との差は2馬身ほど。ラスト200m付近で先頭に取りつくと並ぶ間もなくかわし、突き抜けた。
そこからは独擅場。
力強く抜け出したゴールドシップは、2着のワールドエースを2馬身半突き放し、先頭でゴールを駆け抜けた。
内田の意表をついた騎乗も見事だったが、それ以上に馬が強かった。
つづくダービーこそ5着に敗れるも、秋は神戸新聞杯、菊花賞、有馬記念を制してJRA賞最優秀3歳牡馬に選出された。
3歳終了時までの戦績は10戦7勝2着2回5着1回とほぼパーフェクト。
ペースが速かろうが遅かろうがお構いなしに、道中は後方に控え、自分の動きたいところからスパートして前を呑み込む。母の父である「王者」メジロマックイーンと同じように、ついてくる馬をバテさせる圧巻のロングスパートを繰り出すこの馬は、その馬名から「不沈艦」とも言われた。