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家族旅行で「練習着を持っていけ」箱根駅伝を目指した帝京大・中野大地が語る「親子が“監督と選手”になった日」…最後に父は、息子をこう労った
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph bySatoshi Wada
posted2023/02/27 11:03
父が監督を務める帝京大学で箱根駅伝を目指した中野大地。今後はコモディイイダで競技を続けていく
父の葛藤「親としては本当に最低だったと思う」
父にも葛藤は当然あった。
「必要以上に厳しくしていたんじゃないかなと思う。例えば、メンバー争いをしている同じレベルの選手がいたら(息子のほうを)落とすっていうぐらいの気持ちでいないと、チームにとって良くないと思っていました。
選手は60人いますから、1人だけ特別扱いするわけにはいかない。この立場じゃなかったら、もっとしてやりたかったことはありますけど。親としては本当に最低だったと思います。だから、本人もつらかったんじゃないですかね」
父としては手を差し伸べたくても、監督としてそうするわけにはいかない場面が多々あった。
父も息子も、そして母も、想像以上に大変な4年間を送ったことだろう。だが、それは入学前から覚悟していたこと。そんな困難を乗り越えてでも、目指す価値が箱根駅伝にはあった。
競技者として打ち込んだ4年間
競技者としての中野に目を転じると、下級生の頃はなかなか結果を残せなかったものの、帝京大のカラーが自分に合っていると直感した通り、着実に力を付けていった。
3年目の夏に初めて群馬・万座、熊本・水上と選抜合宿に選出されると、5000mの自己記録を14分31秒30まで伸ばした。3月の日本学生ハーフマラソン選手権では1時間4分55秒とまずまずの走りを見せた。そして、大学ラストイヤーの関東インカレでは初めて対校選手としてハーフマラソンに出場を果たした。
「それまで都大会までしか出たことがなかったので、関東インカレは、緊張して力を発揮できませんでした。ボロボロでした。でも、それも含めて今の自分。箱根駅伝はまだ全然戦えないなと思いました」
結果は43位と厳しい現実を突きつけられたが、箱根駅伝までの距離をリアルに体感できたことは収穫だった。いっそう力を付けるために、ジョグのペースを速めたり、重要な練習の前日に400mの流し(80%程度の力で気持ちよく走る練習)を取り入れたりと課題克服に努めた。