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家族旅行で「練習着を持っていけ」箱根駅伝を目指した帝京大・中野大地が語る「親子が“監督と選手”になった日」…最後に父は、息子をこう労った
posted2023/02/27 11:03
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph by
Satoshi Wada
「親子で箱根駅伝を目指すことに価値があるというか……。それは僕にしかできないことなので」
4年前、こんな志を抱いて、帝京大駅伝競走部の門戸をたたき、箱根駅伝を目指したランナーがいる。中野大地。このチームを率いる中野孝行監督の一人息子だ。
両親から「走れ」と言われたことはなかった
幼い頃から中野は体を動かすことが好きで、サッカー、野球、水泳、空手など、様々なスポーツを習っていた。
「あれこれやれって言われることは一切なくて、小さい頃から両親は自分がやりたいことをやらせてくれました」
その一方で、最も身近にあったスポーツが陸上競技だった。
両親ともに国士舘大の陸上競技部出身。父は箱根駅伝に4年連続で出場し、母はユニバーシアードで日の丸をつけた実績がある。
中野が5歳の時に父は帝京大の監督に就任。母も母校の国士舘大で女子長距離のコーチをしており、箱根駅伝はもちろん、日本選手権や日本インカレ、関東インカレなどの競技会に、幼い頃から連れて行かれた。
そんな環境で育ったのにもかかわらず、両親から「走れ」と言われたことはなかったという。直接的なきっかけは友達から誘われたことだったが、最終的に陸上競技、それも両親と同じ、長距離を選んだのは必然だったのだろう。小6の秋に地元のクラブチームで陸上を始めた。
中野の陸上への情熱が芽生えた瞬間
毎年2月に開催される校内持久走大会では、同級生にライバルがおり、小6最後の大会でも熾烈なラストスパート勝負を繰り広げた。そして、わずかの差で中野は勝利した。
その当時、中野にはイメージしていたレースがあった。それは父の指導する帝京大が過去最高タイの4位に入った第89回箱根駅伝(2013年)だ。早大との4位争いは10区の最終盤までもつれ、ラスト100mで帝京大の熊崎健人がスパート合戦を制した。
「あのシーンだけ何回も巻き戻して見ました。スポーツ観戦にはあまり興味はなかったんですけど、このシーンはたぶん100回ぐらい見ました。頭の中で想像していた走りを、持久走大会で体現できたことがうれしかったです。スパートをかけて、最後で抜かすことができたのが楽しくて、陸上をやりたいなって思うようになりました」
中野の中でスイッチが入った瞬間だった。