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「クビになったらどうなるんだろう」“J4、J5級”選手が「DF板倉滉の専属シェフ」に転身…29歳引退後に実った“4つの学び”とは
posted2023/02/17 11:00
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph by
Takuya Sugiyama/JMPA
地域リーガーから華麗な転身をとげ、日本代表DF板倉滉の専属料理人になった人物がいる。シンデレラのように発見されたのではない。豊臣秀吉のように自らの能力をアピールしたから目にとまった。
シェフの名は池田晃太。最上位のJ1から数えて4番目のサッカーリーグであるJFLや関東サッカーリーグ1部でプレーしていた選手で、一部では「地域リーグ系ユーチューバー」として名前を知られた存在だった。
アスリートを食事で支えるという能力と知恵と夢を持って
「板倉選手からネガティブな発言を聞いたことが本当に記憶にないんです」
そう語る池田は、昨年のカタールW杯までおよそ2カ月となった時点で板倉がケガをしたときにも、その傍らで、一挙手一投足を見守ってきた。ネガティブな雰囲気を漂わせる様子などなかった板倉が周囲の人たちにどのような「約束」をしていたのかは後述するが、池田は板倉の努力を間近で見てきた貴重な証言者でもある。
そんな池田は、アスリートを食事で支えるという能力と知恵と夢を持った者として、自らを見つけてもらうための準備をしてきた。まずは、プロフィールを簡単に紹介しよう。
1992年生まれの30歳。板倉の4学年上で、同じく日本代表で言えば酒井宏樹が2つ年上の世代にあたる。
〈サッカー選手としての経歴〉
ジェフユナイテッド習志野ジュニアユース(ジェフ千葉の中学生年代の育成組織)を経て、専修大学松戸高校へ進学。このあと、一度、プロサッカー選手になることはあきらめた。
2013年 武蔵大学在学中に、当時茨城県1部だったジョイフル本田つくばFCへ。そこから関東2部、関東1部リーグと昇格を経験。
2016年 JFLのブリオベッカ浦安入団。
2017年 つくばFC(当時関東1部)へ復帰。
2018年 関東1部のVONDS市原へ入団。
2021年 このシーズン(29歳時点)をもって現役引退。
選手として過ごすことでセカンドキャリアに通じた
ではこの2年間で、池田はどのようなルートで、どんな努力をしたことにより、同業者がうらやむような日本代表の主軸の専属シェフの座を射止めたのだろうか。
これから紹介するのは、下部リーグのサッカー選手の華麗な転身の話ではない。キャリアアップや副業/複業を成功させるためのノウハウがつまった話である。以下に、彼が成功する要因となった4つのポイントを挙げるとともに、その歩みを振り返っていく。
〈ポイント1〉
「(デュアルワークとセカンドキャリア成功のために)本業に真剣に取り組む」
副業/複業やセカンドキャリアを成功させるために大事なのは、手を抜きながら、本業を無難にこなすことではない。そんな人はリスペクトされないだろうし、将来、別の仕事が本業になったとしても、次の舞台でもきっと言い訳をするだろう。
だが、池田は違う。