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「クビになったらどうなるんだろう」“J4、J5級”選手が「DF板倉滉の専属シェフ」に転身…29歳引退後に実った“4つの学び”とは
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byTakuya Sugiyama/JMPA
posted2023/02/17 11:00
カタールW杯で奮闘し、ブンデスリーガでも主力として存在感を見せる板倉滉。彼を支える専属シェフのストーリーとは?
池田は何よりもサッカーに全力を注いできた自負がある。現役を引退した今になって振り返ると、そんな生き方が2つの「出会い」を引き寄せてくれたことに気がつく。
1つ目が、プレーヤーとして日々を過ごすことによって、セカンドキャリアにつながるテーマに出会えたこと。
池田は言う。
「サッカーの世界で上を目指すのは(大学入学時に)一度あきらめましたけど、そこからもう一回、(大学3年時の出来事を機に)頑張ろうと決意したときに『サッカーで上を目指すなら、食事が大切だ』と考え、食事と栄養に気を使うようになったんですよね」
クビになったら今後はどうなるんだろう?
これらについて学んでいくと、知識が増え、新たな発見をする喜びがあった。それが高じて、後にアスリートフードマイスターの資格もとったほど。当時の池田が「食事と栄養」を真剣に学んだ目的はサッカーで成果をあげるためだった。ただ、サッカーのためにそうしたものを学ぼうとする姿勢がなかったなら、今ごろは別の人生を歩んでいたはずだ。
もう1つが、全力で選手生活に臨んでいたからこそ、セカンドキャリアへ前向きに進むキッカケを作れたことだ。
2018年、JFL昇格を目指していた市原へ入団した。このタイミングで「今年が正念場だ」と心に誓い、それまで以上にサッカーに全てを注ぐべく、様々な取り組みをはじめた。
しかし、フォワードだった池田は「ゴールはちょこちょこ取れていましたが、大事なところで結果が出せなくて。自分の中での評価も、監督からの評価も高くなかった」と、当時を振り返る。
「あの1年間、自分のなかでサッカーに最高に集中できていた感覚はありました。それなのに、結果が出せなくて。そうなると『もし、このまま良い結果を出せずに、クビになったら今後はどうなるんだろう?』という危機感が芽生え始めました」
いつか自分がやりたいと思う仕事を生業にする
危機感が増してきたのは、池田のなかでの明確な基準があったから。プロサッカー選手という夢を再び追うと決めたとき、自分に課したルールがあった。
「『もしも、上のリーグを本気で目指す気持ちがなくなったらやめよう』と考えていました。2021年に、『あぁ自分がJ (*J1からJ3までのトップ3つのカテゴリー)の舞台に立つのは難しいだろうな』と感じてしまいました。だから、引退しようと決めました」
もちろん、Jリーガーになれなかった悔しさなどないと言えば嘘になる。ただ、池田にとって大切なのは、「心の底からやりたいと思う仕事を生業にする」ことだった。