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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「肩の骨が浮いてほっぺたに当たるんです。ビヨーンって」坂口智隆が語るケガとの壮絶な闘い 自由契約、移籍、引退…今明かす決断の裏側
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byIchisei Hiramatsu
posted2023/01/23 11:02
「最後の近鉄戦士」として昨シーズンまで現役生活を全うした坂口智隆氏
もう一つ、坂口にとって現役生活の大きなターニングポイントとなったのが、ヤクルトへの移籍だった。2015年秋、オリックスからの契約提示に同意せず、自由契約を選んで退団。獲得に名乗りを挙げたヤクルトに新天地を求めた。
「お金は大した問題じゃない。野球さえできれば良かったんです。その年に成績を残せなかったのは自分の責任ですけれど、15年はちょうど肩のリハビリが終わってもう一度勝負できるんじゃないか、と思い始めていた。このまま終わるんじゃなく、勝負させてもらえる環境があれば心機一転、もう一度スタートラインに立たせてほしいという思いがありました。オリックスには恩もあって、チームを離れる寂しさもありましたけど、野球人生で悔いのない方に、と思って決断しました」
ヤクルト移籍でびっくりしたことは…
15年にセ・リーグ制覇したヤクルトはトリプルスリーを達成した山田哲人はじめ、バレンティンらを擁し、強力打線を看板にしていた。
「打線のイメージが強くて凄いな、と思っていましたが行ってみたら、実際に練習できる環境は他のチームに比べて厳しいんですよ。神宮球場は学生野球と兼用ですし、室内練習場が使える時間も限られている。クラブハウスのトレーニングルームが広いわけでもない。そんな状況でよくこの打線が育ったな、とびっくりしました。それぞれの選手のポテンシャルが高いことは勿論ですが、やはり限られた条件の中で何ができるか、ヤクルトの選手はすごく集中して時間を使っているんですよね。それは移籍してみての発見でした」
逆に、坂口がチームに与える影響も大きかった。当時は故障離脱者が多く、“ヤ戦病院”と揶揄される中、自分の体と徹底的に向き合いながらも決して弱音を吐かない坂口の姿はいい手本となった。2018年には、チーム事情から中学生以来という一塁手に挑戦。34歳にして泥まみれになって挑戦して定位置を掴み、打率.317、出塁率.408の成績を残したベテランに刺激を受け、その背中を追う若手選手も多かった。
「僕はどこに行っても野球は野球だと思っている。その野球をするためにはスタメンで出たいし。出られるためならどこでもよかった。たとえキャッチャーなら出られる、と言われたとしても、絶対に挑戦していたと思います。結果的には通算1000安打も1500安打もヤクルトで打たせていただいて、拾ってもらって本当に良かった。自分の野球人生の中でもう一度、成長できた気がしますね」