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「肩の骨が浮いてほっぺたに当たるんです。ビヨーンって」坂口智隆が語るケガとの壮絶な闘い 自由契約、移籍、引退…今明かす決断の裏側 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph byIchisei Hiramatsu

posted2023/01/23 11:02

「肩の骨が浮いてほっぺたに当たるんです。ビヨーンって」坂口智隆が語るケガとの壮絶な闘い 自由契約、移籍、引退…今明かす決断の裏側<Number Web> photograph by Ichisei Hiramatsu

「最後の近鉄戦士」として昨シーズンまで現役生活を全うした坂口智隆氏

 現役最後の2年となった2021、22シーズンは、ヤクルトが自身の古巣のオリックスと日本シリーズを戦うという縁もあった。特に21年のシリーズでは第2戦で「9番・ライト」で先発出場するなど4試合に出場し、日本一を決めた歓喜の瞬間はかつての本拠地である神戸のスタジアムの左翼を守っていた。

「今思うと、もう辞めろ、って言われているのかなって(笑)。実際には、そのシーズンはほとんど二軍だったのでリーグ優勝に貢献できなかった悔しさの方が強かったですが、出していただいたのは思い出になったし良かったと思います。オリックスで当時から残っている野手はT(岡田)や、安達(了一)くらい。古巣と言ってもメンバーが替わりすぎて別のチームみたいな変な感覚でした。客観的に見て、強いなー!って。みんな爽やかですしね」

一番辛かった「引退を告げた日」

 20年間、真っ直ぐに駆け抜けてきた現役生活に別れを告げる決断は、容易ではなかった。

「覚悟はしていました。ここ何年かはずっと、そろそろかな、と。ただ気持ちを固めるまでは本当に悩みました。球団と話し合うなかで心を決めていったわけですが、いろいろな方に相談する時に、迷っていると言いながらも知らず知らずのうちに“辞める態で”相談していることに気付いたんです」

 昨年9月下旬、決意は固まったが、それを球団側に伝えるまでの時間が一番辛かったと明かす。「決断することより、それを伝えることがキツかった。球団に辞めます、という連絡をすることで、自分の20年間が一瞬で全て吹っ飛んでしまいそうな気がして。『辞めさせてもらいます』と言うのが怖い。悩んでいるのもしんどいので、よし、今日は伝えようと思って(二軍球場の)戸田に行くんですよ。でも練習をしているうちに言えなくなって、やっぱり明日にしよう、って…そんなことが何日か続きました。言ってしまったら何の望みもない。そこで終わりなんだ。そう思うとキツかったです」

 逡巡の末にようやく気持ちを伝えられたのは9月28日のこと。翌日に球団から発表され、その4日後には引退セレモニーが待っていた。

 大好きな野球から離れて迎える初めてのオフシーズン。坂口はいま、どんな夢を描いているのか。

「野球には絶対に関わっていきたい。今現場から離れてみて改めて思うのは、野球を伝える、ってことは難しいですよね。伝え方によっては間違った方向に行かせてしまうし、すごく責任が重い。ゆくゆくは指導の道にも進んで行きたいので、今は言葉でちゃんと伝える、発信するということを勉強していきたいと思っています。いずれは監督をやってみたいんです。目標として口にするのはまだ早い。まずは指導者として自分の腕が立ってからですね」

 いてまえ魂を胸に、もののふの心とともに、不屈の魂を携えて……。「最後の近鉄戦士」は新たな道を踏み出している。

〈#1から続く〉

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〈最後の近鉄戦士〉坂口智隆が明かしたあの日…「俺たちどうなんの?」寮のテレビで知った球団消滅 引退スピーチに込めた“いてまえ魂”の秘話

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