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「高1夏の甲子園が忘れられない」ある野球エリートの就活…なぜ生涯年収3億円~の“安定した仕事”を捨てたのか?「大阪桐蔭一強」への挑戦
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byJIJI PRESS
posted2023/01/19 20:00
道端俊輔(29歳)。智弁和歌山高、早稲田大で活躍。昨年まで明治安田生命で7年間プレーした(写真は2011年夏の甲子園で)
「おかげさまで、指導者の第一歩を踏み出すことができそうです。大阪の興国高校で、コーチとして受け入れていただくことになりました!」
いつもはフラットな感じの彼の声が、さすがに弾んでいた。
「野球部でコーチをしながら、教職課程の勉強をして教員免許をとります」
当面は恵まれた環境のようだが、教員免許をとっても採用されるか、その保証はないという。
「それでも、指導者のはしくれとしてグラウンドに立てるんですから、ありがたいです」
発せられる言葉は、ひたすら前向きだった。早稲田大学を卒業して、生命保険大手の明治安田生命で選手を7年。奥さんもいて、歳も30にさしかかって……引退したあともそのままコツコツ勤め上げれば、生涯賃金3億とも4億ともいわれる安定した「人生中盤から後半」。なにも、先の見えにくい高校野球の指導者生活に舵をきらなくても……そんな俗人の素朴な疑問を、やんわりと、彼にぶつけてみたことがあった。
「早く監督になりたい。高嶋先生を抜きたい」
「自分、神宮が満員になったあの早慶戦も、華やかな大応援団の都市対抗の東京ドームも、どちらも何度も経験させてもらいましたけど、それでも、1年の夏に初めて甲子園に出た時のあの“身ぶるい”に勝るものはなかったんです。自分の生き方にいちばん大きく影響しているのも高校野球と甲子園ですし、高校3年間の大切な時間と感動を、たくさんの球児に味わってほしい。そこから、自分の人生を構築していってほしいんです。それに、自分でももう一度、あの全身が沸き立つような興奮と感動を味わいたい。そういう思いもありますから」
愚問だったようだ。聞いたこちらのほうが悪かったと、反省した。
智弁和歌山高時代の道端俊輔捕手は、高校1年夏から3年夏まで5季連続で「甲子園」に出場した甲子園の申し子のような存在だ。日本中の高校球児が、一度だけでも……と夢見るあのグラウンドでなんと10試合、11本のヒットを放って、甲子園は年中行事のような高校野球生活を送っていた。
「まず、興国で指導者としての勉強をさせてもらって……」
興国高・喜多隆志監督も、智弁和歌山高出身で、2人は高嶋仁監督(当時)の「兄弟弟子」にあたる。慶應義塾大からドラフト1位で千葉ロッテに進み、外野手として5年間プレーした。岐阜・朝日大学コーチや母校・智弁和歌山野球部長をつとめてから、興国高の監督になって、今年で6年目になる。